中村の考え

本物、偽物、限りなく本物の香りがする偽物

芸術品と工芸品の間には何の区別も存在しない。
芸術品だろうが工芸品だろうがそこにあるのはそれらが、本物か、偽物か、限りなく本物の香りがする偽物か、だけである。
最も一般からありがたがられるのは、限りなく本物の香りのする偽物、だ。
そして偽物には偽物の用途がある。
だが、本物に触れる為には、触れる側にもそれなりの覚悟を要求される。
例えば、本物の茶碗を手に入れる為には目の球が飛び出る程の金銭が必要となる。
ゆえに、最もポピュラリティーを得られないものは、本物だ
ゆえに、本物を作り、極める道は、茨の道である
本物を作る為には、それを一生かけて追い求める覚悟が必要である。
むろんそれは並大抵のことではない。
一度は覚悟を決めた作家が、その覚悟を全うすることが出来ずに終わることもよくある。
その覚悟を、一生かけて全うすることが出来た者だけが、後世にその名と作品を残すことが出来るのだ。
ところが偽物、及び本物の香りがする偽物に従事する作家は、後世に名を残すことよりも、現世での自分の生活の福祉の充実のほうに興味がある反面、本物の作家は、自らの生活の福祉はおろか、後世に名を残すことすら興味の範疇から外れているものなのだ。
本物は、本物を創作することと、それに対する努力にしか興味がないものである。
稀に、本物を作る人でポピュラリティーを得、現世での生活向上に成功する人がいる。
それは、その人が本物だからではない。
それは、ただの偶然の結果に過ぎない。
何かを創作する、ということは、そんなものなのだ。

ところで、創作された物に触れる側としては、その三種類の区別をどうつけたらよいのかが解りづらい。
特に、本物と、限りなく本物の香りのする偽物は、区別が付きづらい。
過去の物は歴史の淘汰を経ているので、本物しか残っていない確立は高いが、現世においてはそれらは混沌と存在するからだ。
ゆえに、その作品が、歴史の淘汰を経て未来に生き残る物なのかどうか、という観点で触れてみる習慣をつけることだ。
そうすれば、自ずと眼力も育とう、というものだ。
モーツァルトの時代には、モーツァルト以外にも、たくさんの、本物によく似た宮廷音楽家や、ただの楽隊も、数多く存在したのだから。
無論、僕は、本物を一生かけて追求する。

共に歩む者、募集中。
  1. 2009/11/22(日) 00:03:55|
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人生に負け癖を付けるな

負け癖を付けるな

生きていると大小様々な困難が行く手を遮る時がある。
その困難に向き合い、逃げ出さずに乗り越えようとするか否か、か、が人としての成長に大きく関わって来る。
逃げ出すということは、その困難に負ける、ということだ。
一度の「負け」はほんの小さな負けに過ぎないかもしれない。
ただ、負けを積み重ねていくと、負け癖がついて来る。
負け方にも色々ある。なかったことにしたり、先送りにし続けたり、人のせいにしたり、判断を他人に委ねたり、他人にたよったり。

つまり、勝ち癖を付ける為には、困難を正面から見据え、克服する努力をし、自分で責任を取り、人に頼らずに、自分の力で判断すればいい。
そうして克ち得たものは、負けて他人から得たものと全く価値が異なって来る。

ピアニストの大友君と少しメールのやりとりをしていて、彼の音楽上の悩みの話になったことがある。
ぼくは回答に至らしめるような、ちょっとしたヒントを返信した。
彼は返信で、ありがとう、その先は自分で考えます、と書いてきた。
彼は勝ち癖のついている人間なのだ。
大事な判断を、他人に委ねてはいけないことを、知っている人間なのだ。

あるシンガーとライブをした時の話。
その曲にしては彼女の出したテンポは速すぎるように感じたが、そのテンポでイントロを出した。
楽曲にはやはりその曲にふさわしいテンポというものが、ある程度は存在する。若いシンガーは、そこを意識せず、なんとなくテンポを出すことがよくある。
が、一流の人達は、あえて、全く違うテンポでやってみて自分だけのその曲、という世界を作り出すのだ。
ゆえに僕は、その人の工夫と信じてそのテンポでイントロを出したのだ。
案の定、ステージで歌えなくなった彼女は、ステージ上で、曲の途中で、こんなんじゃ歌えない、といって拗ねて歌うのをやめたのだ。
自らの未熟を僕のせいにして、自らのミスを聞いているお客さんに甘えたのだ。
負け癖のついている人は、極端な場合、このような行動に出る。

どんなに偉大な先生に師事しようが、どんな上等な楽器を購入しようが、どんなにいい音楽体験をしようが、己に克たなければ意味がないのだ。

逆に、独学でも、エレピしかなくても、ステレオはカセットデッキしかなくても(又古い言い回しだが)己に克つことが出来れば道は開けるのだ。

指導者や、伴奏者も悪いのだ。
ぼくは、それらの立場を取ることもある。今後は中津江MCや、各地で起こっていくであろう、僕の立てる新たな塔、により、その機会はどんどん増えてくることだろう。http://nakamuranokangae.blog55.fc2.com/blog-entry-45.html
野村克也氏の指導の方針として、無視、賞賛、叱咤、の三段階がある、という。
心に負けた気持を持ってワークショップに来る人に対して、僕は述べる言葉をもたない。
その人が、己に向き合う覚悟を持ったとき、僕は褒める。
そして、その人が、それに向けて進み始めたとき、僕は叱咤し、激励するのだ。
負けている人間に、手取り足取り教えてあげることは、その人のためにならないばかりか、負け癖を増長させてしまうのみだ。


伊藤大輔が、中津江MCで参加シンガーに、僕とのDUOでの練習の時にこういった。
中村真を、車だと思って乗りこなしてみなよ、と。
僕は、まあまあ性能のいい車なのだ。400kmぐらいは出るし、フルブレーキングをかけてもハンドルがぶれることなく制動出来る。足回りも悪くないので峠も楽しく走れる。
だけど、ドアを開けてキーを差し込み、エンジンをかけ、アクセルを踏み、ブレーキをかけ、ハンドルを操作しないと動かせないのだ。
世の伴奏者の多くは、本当に多くは、ドアを開けてあげキーを差し込んであげ、エンジンをかけてあげ、アクセルを踏んであげ、ブレーキをかけてあげ、いかにもその人が運転しているかのように演出する。
これではシンガーは育たない。
しかし、こういう伴奏者が、伴奏の上手い人、といわれているのだ。


僕自身の話を少しします。
僕はずっと自分はピアノはとてつもなくへたくそなんだ、と思ってました。
ゆえに技術的に向上する練習をずっとやっていました。
ある日、通常の練習をしていて、自らの指にある、変な癖に気付きました。
それは、ビルでいうなら、一階にある構造上の欠陥、のようなものでした。
僕は気付きました。僕はへたくそなんじゃなくて、一階に欠陥を抱えたまま、100階までビルを建ててしまったんだ、ということに。
それから、僕は練習方法を変えました。
101階の工事に取りかかるのではなく、バイエルの赤本の10番までのような練習から始めました。
一階の修繕です。
国語でいうなら、平仮名の書き順からやり直すようなものです。
そうすることによって、100階まで立てたビルは少しずつ安定して来ました。
自分で、自分に気付き、一見遠回りに見える努力を、そこから逃げずにやり直す。


僕が、今まで一度も負けなかった訳ではない。困難から逃げ出したこともある。己を甘やかしたことも何度もある。
不満足な演奏を、共演者のせいにしたくなることもある。
だけど、そこで、もし僕が世界一のピアニストなら、共演者が誰であれ、満足のいく演奏をすることが出来るだろうと考えるのだ。
そう考えると、自ずと自らの進むべき道も見えて来る。
負けてては、その道を進むことは出来ないのだ。
志を高く持っているならば、負けている暇はないのだ。
それだけのことだ。










  1. 2009/11/17(火) 16:44:09|
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スタンダードブックをすぐに捨てよう

最近、たまたまアマチュアのセッションに伺ったり、アマチュアの人達との交流もあり、気になったことがある。
皆同じスタンダードコードブックを持っているのだ。
そういえば僕のレッスン生も皆、同じコードブックを持っている。
アマチュアで楽しむ分には構わないかもしれないが、プロを目指すものは、ああいったスタンダードブックは一刻も早く捨てたほうがいい。
その理由はたくさんある。
単純に、コードの誤りが多いこと。
枯れ葉レベルの曲でさえ、一般的な我々のセッションで使われているコードと食い違う。
かなりひいき目に見て、コードの正解率がほぼ30%ぐらい。一曲の中に間違いが一つもない曲の率が、です。
誤りではないけどベストではない、という曲を入れたら更に−10%です。
コードの誤りが一番少ないのはバークリーの教科書のリアルブックですがそれでも80%ぐらいの正解率でしかない。
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  1. 2009/10/16(金) 15:11:12|
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これからの僕の音楽活動のあり方について 水平から立体への移行

もともと大阪から上京する時に始めた自転車の旅、それを音楽に結びつけた自転車ツアー、2006年から続けて来たそれは本当に多くのものを僕にもたらしました。
都会で、漠然とライブハウスを行き来するだけの音楽家としてのあり方に疑問を抱いていた僕は、ほぼ直感的にチャリツアーに飛び出した。
とんだピエロなのではないかな?という思いも頭をよぎらないわけではなかったけど、旅を終えてみてそれは本当に色んなものを僕にもたらしてくれました。
テントを担いで、地べたで寝て、自分で最低限の調理器具で食事をこさえながら全国に轍を刻んできたことから感動を得ながら、感動を与えていく。そして、それは人との密接な関係を作っていくことになりました。
チャリツアー、それは友達を作る旅。

しかし、漠然とした物足りなさを感じ始めてもいました。

中津江ミュージックキャンプを終え、その答えが見つかりました。

チャリツアーは、色んな意味で丁寧なツアーではあったけど、所詮僕は通り過ぎていく旅人でしかない。そのことに物足りなさを感じていたのです。
もっと深く、ひとと感動を共有したい。
僕にとって、水平の旅はもう終わった。これからは、チャリツアーで得た友人達と、垂直的に、もっと掘り下げ、もっと積み上げていく。
そして、地域の人達や、音楽家やほかのアーティストとも感動を共有し、そして、共に学び、もっと深い精神的な繋がりや価値を求める活動をしたいのだ、と。

中津江で育んだ感動は、確実に人の心に共鳴し、それは波紋を広げています。
人は交わり、新たな繋がりを生む。
例えば僕は、みんなに伊藤大輔を紹介し、みんなを伊藤大輔に紹介した。大輔は、歌やワークショップを通じてみんなに感動をあたえ、それに共鳴し、波紋を広げる。
そして、伊藤大輔自身が学び、みんなから得た感動を、そして共鳴し、波紋は広がっていく。
事実参加者同士が僕のコントロールの範疇外で、自由な動きを見せている。
MCに参加した中津江在住のNくんは、東京までのチャリ旅に飛び出した。

音楽家が与えられるものは一方向の感動だけでは決してないと僕は思っている。
そしてそれを実践し、証明していく。
ピアノを弾くだけが僕の与えられる感動ではないのだ。

僕は、自転車で全国を線で結びました。
これからは、全国に塔を立てます。

中津江MCは続くし、共鳴する友達がいるなら、僕は全国どこへでも飛んでいきます。そこで、共に塔を立てよう。
どんな塔になるか?それはやってみなければ解らない。
それは、直感的に旅に飛び出したあの時と同じ。

二次元から三次元の旅へ、僕の旅は形を変えたのです。
  1. 2009/09/07(月) 12:41:05|
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知るということ、見るということ

知る、ということ、そしてものを見る、ということ


脳の中に楽譜を用意して演奏に望む音楽家がいる。
まずそれを取っ払うところから始めるほうがいい。
楽譜に書かれているものは音楽そのものではない。
音楽に関する、ほんの一部の情報が書かれているに過ぎない。
クラシックの楽譜ですら、そこに書かれていることは全てではない。
ぼくは共演者、特にベーシストに曲目を伝えずに演奏を始めることがよくある。
よく知っている曲であるはずなのに演奏出来ないベーシストがたまにいる。
その人達は、曲目を伝えなければ、脳の中の譜面集から譜面を取り出せないのだ。
そういう人達に、この曲知ってるか?というと、覚えてません、と答えが返ってくることがある。
僕は、知ってるのか知らないのか、を訊ねているのだ。

曲を知る、ということはどういうことなのか???
曲のコード進行を覚えることなのか???メロディーを覚えることなのか???
歌詞を覚えることなのか??
勿論それら全て、曲を知る、ことの一つだ。
だが、本当にそれで知ったことになるのか??
コード進行など、楽曲の本質ではなく、表面の一部分であり、場合によっては音楽を奏でる上において何の意味も持たない場合も数多い。
少なくとも、僕のトリオに、コードを覚えているだけでは参加することは出来ない。
キースジャレットのトリオにおいては、メンバーみんな「知っている」曲を演奏しているのだが、ゲーリーピーコックとキースジャレットは「しばしば」全く違うコードを弾いている。
知るということと、覚える、ということは少し違うのだ。
たとえ話を一つ。

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  1. 2009/09/01(火) 15:16:02|
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レッスンについて 料金改定等

自宅レッスンの料金を改定いたします。
レッスン料金を改めます。
成人7000円→6000円
五回レッスン回数券30000円→25000円 
学生5000円→4000円

ついでに受講生募集。
受講希望者はメールください。
以下にレッスン詳細を記しています。


音楽やピアノを教えています。
主にジャズピアノを教えています。
コードの押さえ方、アドリブの取り方、理論、ピアノの技術的な練習方法、また、僕はベースを弾きますので、アンサンブルするレッスンになります。
ピアニスト以外にも音楽を教えます。(ボーカル、サックス、ベース等)
主に僕がピアノを弾いてのアンサンブルの授業になります。
勿論、その楽器の固有の技術について教えることは出来ませんので、初心者は不可です。既にアンサンブル可能なレベルの人に限ります。
ジャズはアンサンブルの経験が演奏技術の向上にもっとも繋がるものですから、非常に意義のあるものになるでしょう。
又、他の楽器のプレイヤーにピアノやピアノを使った理論の授業を教えることも致します。
レッスン形態については話し合って決めたいと思います。
一度だけレッスンしてもらいたい、とりあえず一度のレッスンで様子をみたい、というのでも構いません。
レッスン対象者ですが、ジャズ初心者は可ですが、楽器初心者は不可です。
ジャズや即興演奏は、楽器初心者には無理です。まず楽器を修得する事から始めなければなりません。
楽器に関しては、どうしてもというのであれば教えますが、僕より遥かに上手に楽器初心者を教える先生は回りにいくらでもおられることと思います。
あと、強いて条件といえば、僕のピアノを生で、もしくはCD等で聞いたことがあることです。
プロ思考でない方も歓迎です、がジャズを聞いて感銘を受けた方に限ります。 時々、ジャズが何たるか知らないのに教えてもらいたがる人がいます。クラシック以外のことがしたいのでしょうけど、そういう漠然とした目的意識の人を教えることはぼくには困難です。
レッスン場所は、基本的にさいたま市の北浦和の僕の自宅で教えたいと思います。
  1. 2009/08/26(水) 12:45:57|
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脳みそ0%のすすめ

直感的に物事を捉えることは非常に大事である。アーティストに必要なのは、頭脳よりも何よりも直感力である。

とかく知識を得ると、人間は直感ではなく、脳みそで物事を捉えようとする。
私事でありますが、最近水彩画をはじめました。
とたんに美術鑑賞が直感的でなくなる。技法に目がいくようになるのです。
なまじの知識と経験は直感の邪魔になる。
では直感とは何ぞや?

将棋の世界の話をしましょう。むろん私はへぼ将棋なので、将棋の神髄を身を以て体験したことはございませんので、又聞きや文献によるお話です。
全てのボードゲームは、必勝法を探す旅、だといっても過言ではありません。
数学的に言えば、結論の存在するものなのだそうです。
オセロ等は必勝法が存在するそうです。多分、後手が必勝だったと思います。囲碁も先手有利です。だから、五目半のハンデを付けて打ちます。
ところが将棋に関しては未だ先手後手有利の結論すら出ていません。人間はおろか、力任せに計算するコンピューターですら、わからないのです。
将棋界最強の男、羽生善治が20代の頃、彼は他の棋士よりほんの少しだけ深いところまで読むことが出来ました。その読みの深さは本当に髪の毛一本分ぐらいのものだったそうです。
そして、その髪の毛一本の読みの深さで将棋界七冠王を達成しました。現在も4つのタイトルを保持している(はず)
ただ、脳みそは20代で衰えて来る。その後は経験による勘で指す要素も増えて来るそうです。
ひいては、読まない強さ、つまり直感力ですね。
しかしそれは、今までの膨大な読みの蓄積や、経験の集約からくる、直感、なのです。
適当ではない。


アーティストには3種類のタイプがある。
かしこ※に見えるかしこ、アホに見えるかしこ、アホに見えるアホ。
かしこに見えるアホはあんまり見たことないなあ、たまにお見かけしますが。

アホは、直感力で音楽を捉える。そして、絶えず新鮮にその場の音楽の局面を見ることが出来る。
ものを見ることにおいても、創作する局面においても、アホでいることは実は最高なのだ。
頭を使っているようではまだまだ。
ただ、究極の脳みそ0%星人になるには、大天才の人以外は膨大な思考と経験の積み重ねの先にあるのだ。
何やらと何やらは紙一重、まさにその通りなんだ。
勿論、僕はまだまだ脳みそを使っている。アホに見えるかしこの段階。

さあ皆さん、究極の脳みそ0%を目指そうではないか。

※かしことは、関西弁でいうところの賢者のこと。アホは関西以外では比較的きつい表現に捉えられがちがだ、バカよりはだいぶソフトな感覚で記しています。
  1. 2009/07/27(月) 13:26:53|
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謙虚であるということ

謙虚であるということ。

謙虚であるということと、へりくだるということは全く違う。
謙虚であるということは、ありのままの自分を受け入れる、見つめる、ということである。
ぼくは世界一のピアニストになりたいと思っている。
こういう事をいうと、謙虚ではないと思う人が多い。
ぼくは、そう思わない人のほうが謙虚ではないと思っている。
少なくともホロヴィツもハンクジョーンズもぼくも、CDの値段はほぼ同じだ。
それを買って聞いてくれる人に対して、ぼくがその人達と同じ志を持っていないとすれば、それを買ってくれた人に対して謙虚である、といえるのか?


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  1. 2009/07/05(日) 13:47:00|
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ピアノの音色について

ピアノの音色について

ピアノという楽器は、科学的にいうと猫が弾いてもぼくが弾いてもホロヴィッツが弾いても同じ音がなるはずなのに、全く違う音になるという不思議な楽器であります。
ピアノの音色について少しお話しいたしましょう。
全ての楽器の中で、音色を良くする為の明確なトレーニング方法がない楽器はピアノだけだといっても過言ではありません。
ピアノの音色はイメージで決まります。後は技術的な総合力。
イメージを持つ事には勿論メソッドはありません。音楽を聴いて感動したり、日常の様々な事柄を感受するしか方法はない。
ぼくの場合は自転車で旅をしたり山登りする事もそれかもしれない。

でも、具体的にピアノを弾く時に少し意識のチャンネルを変えてみると、音色のイメージを持つことの手助けになるかもしれません。

ピアノの音をならす為には鍵盤を押さなければなりません。
ですから、ピアニストは鍵盤に意識がある場合が多いです。
が、鍵盤は操作する為のボタンに過ぎず、実際にはピアノはハンマーが弦を叩く事によって発音しているのです。
ですから、ピアニストはまず意識を鍵盤からハンマーに切り替える事が肝心です。
ピアノは唯一楽器の発音を、自分の体で直接行う事が出来ない楽器なのです。内部奏法をすれば別ですが。

さて、ハンマーが打弦する事をイメージ出来たら、次は弦を共鳴させる事をイメージしてみましょう。
ピアノは、弦楽器である、という言い方が出来るかもしれません。
特にファッツィオーリは、弦楽器である事を思わせてくれる楽器ですね。
ハンマーが弦を叩く事から弦を響かせるというイメージを持つ。

そこまでいくようになるとどんどんイメージは膨らんでくるはずです。
ハンマーの打弦のさせ方を変えてみたり、ソフトペダルを踏んでみる事によってそれは可能になります。
ピアノからは弦の音以外の様々な音がしています。ダンパーが外れる音、ダンパーが戻る音、共鳴弦の響いている音、倍音の響き、フレームの響き、また、共鳴板の木に響く音、そこまで感じ取りながら、ピアノを演奏してみると、どんどん楽しさが増して来る。
ピアノは、響かせる楽器なのです。
ぼくのピアノを生で聞いた人ならば、ぼくが、弾いた音の残響にまで意識を持ち、責任を持って演奏している事を感じ取れる事でしょう。
響きにイメージを持つと、まずペダリングが変わる。
ピアニストに限らず、全ての減衰音の楽器奏者は、今ひとつ楽器を響かせる事をイメージ出来ずにいます。
楽器を響かせるイメージを持たないと、音楽は点のままです。
楽器を響かせる事が出来て、はじめて、音は点ではなく線であり、立体になっていくのです。

  1. 2009/06/08(月) 19:14:15|
  2. B~D
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音楽が音楽になる為には

音楽家としてプロになるためには才能は不可欠だ。
発明とは99%の努力と1%のインスピレーションだ、というエジソンの言葉がある。
努力を推奨するこの言葉は、言い換えれば、1%のインスピレーションが湧かない人に発明は無理だということでもある。
同様に、才能の全くない人には音楽は出来ない。
ところが、才能があればそれで音楽が出来るのか、というとそうでもない。
たまに、20代前半で突出した才能を開花させる人がいる。
そういう人たちは、凡人が9年かからないと出来ない事を、たった一年で出来てしまう。
だけど、どんな天才だろうと凡人だろうと、等しく10年時間をかけないと出来ない事も存在する。

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  1. 2009/04/21(火) 12:47:00|
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アドバイスの受け方

先輩や先生から、様々なアドバイスを受ける事があると思います。
アドバイスをしてくれる人は、大抵の場合その人に対して好意を持って言ってくれていますが、アドバイザーの力量や、意図によっては、アドバイスが功を奏さないばかりか、有害にすらなる場合もあります。
基本的に、人のアドバイスは半分に聞いたらよろしい。
僕は、大学一年生の時に、はじめてセッションにいったジャズ喫茶のマスターから受けたアドバイスが的外れであった事から、そのことを学びました。
必ずしも人が正しい事を言ってくれるとは限らない。また、正しい事であったとしても、そのことがその人に取って正しいかどうかはわからないのです。
最終的に、自分の感性以外の事を表現する事は無理だから。

では、アドバイスをどう受ければいいのか、ということを考えてみましょう。
アドバイスには大きくわけて二つあると、僕には思います。

戦略的アドバイスと、戦術的アドバイスです。
戦略とは、どういう目的で戦うか、で、戦術は、いかにして戦うか、です。
つまり、戦争でいうと、第二次大戦の目的を定めた東条英機は戦略家で、ミッドウェーで采配した山本五十六は戦術家です。







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  1. 2009/03/02(月) 16:39:41|
  2. A
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ぼくが演奏中にしている作業の解説

演奏する時のメンタリティーを整える。これはほんまに難しい事だ。
集中力は、緊張していては絶対に出ない。
リラックスする事は非常に大事なことだ。
どうやってリラックスするか、その方法を各自探らなくてはならない。
お客さんにのまれてはいけない。共演者にものまれてはいけない。
どうすればいいのか?それは各自探方法を探らなければならない。

最初の一音は肝心。
その一音が、音楽として動き出した時から始まるのだ。
自分が出す音に対して、勿論、方向性を考えながら音を放っていくのだが、だが出た音がひとりでに予期せぬ方向に動いていく事もある。その音の動きに忠実に音楽を作っていく。これはつまり、響きを吟味するということでもある。
この、予期せぬ動きに対する反応が即興感に繋がる。
ホロヴィッツが即興的に聞こえるのはそういう理由。

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  1. 2009/01/08(木) 20:24:24|
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すべての問題は、音符のレガートに関わってる。

すべての問題は、音符のレガートに関わってる。

リズムを刻む際、その音とその次の音、つまりベースでいうと四分音符が、レガートしているイメージを持つ事が、ジャズを演奏する上で、最も大事な事だ。
レガートとはどういう事かというと、音と音が繋がっていく事だ。
アーティキュレーション記号では、スラーで表記される。
レガートすることは、スウィングとも密接に関わっている。
ジャズにおけるレガートという言葉の意味は、少しだけクラシックのそれと違う。
クラシックでは、メロディーがレガートするのだが、ジャズでは、リズムがレガートする、という言い方をする。(これは極論です。勿論、ジャズでもメロディーのレガートはあるが、問題をリズムに限定したほうが、わかりやすいと思われるから、ここではそういうことにする。)
リズムの点、一つ一つがレガートしている状態を作り出すのだ。
どうすれば、レガート出来るのかは実は説明する事は難しい。しかし打音から発生するその後の空間をどれだけ意識出来るか、にかかっている部分は大きい。
点と点を繋ぐのではなく、点から発生する、響きを繋いでいくのだ。
若い音楽家達の多くはは、音の響きを意識出来ていない。殆どのリズム楽器は、減衰楽器であるから、ポイントにしか意識がいかないのだ。
故に、ピアノでいうならば、ペダルの踏み方を勘違いしているひとは多い。
ペダルを、打音を繋げる為には極力使ってはいけない。音は可能な限り指で繋ぐものだ。
ペダルの本来の用途は、響きを繋ぐ為のものなのだ。
ベースやドラムのレガートを技術的に説明するのはぼくには難しいが、響きに意識を持つべきである事は、容易に理解出来る。
ドラムはハイハット、ベースドラム、スティックで叩く場合はシンバル、ブラシの場合はスネアという、3種類の楽器で4ビートのリズムを構築する。
この強弱と、軽重だけで、大概の事は表現出来るのだ。
ハイハットのタッチ感、バスドラムの距離、ブラシの深さだけで、大抵の音楽の緊張感を彩る事が出来る。
つまり、レガートしているだけで音楽に参加する事が出来る。ということは、音楽が混沌とした時にステイ出来るということだ。そして、ステイする事によって冷静に状況を判断出来るということだ。故に、すべての問題はレガートに関わってくるのだ。
ジャズの場合は、4ビートといわれる四分音符がそのレガートの基本として考えても差し支えないだろう。
必ずしもスイングは、強いビート感から生まれるとは限らない。
黒人の、すごいプレイヤー達のグルーブは確かに強力だが、それを模倣しなければスイング出来ない訳ではない。
それよりも、もっとさりげない、四分音符のレガートから生み出されるリズムの連なりが、スイングを学ぶ上において重要であると僕は思っている。


  1. 2008/12/18(木) 12:39:51|
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もっと丁寧に音楽を作ろう

若いミュージシャン、特にドラマーや管楽器奏者に多いのだが、音楽の総体の中での流れがギザギザで、あまりにも唐突で雑い演奏が多い。
何故そうなるかというと、多くの場合、彼らは自身の演奏の中で「ジャズ名場面集」の切り貼りをしているのだ。
野球で例えるなら、珍プレー好プレーばかりを見ているようなものだ。
珍プレーや好ブレーだけで一試合は作れない。
内野ゴロ、外野フライ、バント、ヒットエンドラン等の地味な作業の積み重ねの中に、たまにあるホームランや、奪三振が見物なのだ。
ジャズのアルバム一枚聞いても、殆どは地味な作業の連続で、一曲の中のここっ、というポイントにのみ、そういう華やかなシーンがあるのだが、そういう華やかな、耳につくシーンのみを抽出し、羅列しているのが、そういう連中のジャズなのだ。そこには音楽の総体としての美しさはない。
マイルスデイビスバンドフォロワーのヨーロッパの三流バンドのライブCDを聞いたことがある。本物と同じようなシーンは数多く存在するが、整頓の度合いがまるっきり違うのだ。
一つのシーンの中の音の情報が多すぎるのだ。
ドラムはホームラン打って、ベースはヘッドスライディングして、ラッパはホームスチールしている。
そういう人たちと一緒に演奏すると、僕は音を出すことが出来なくなる。ただでさえ混沌としている状態に、更に音を増やせば、混沌の度合いが増すことが明らかだからだ。
弾かない、という選択肢が、まだしもましな選択肢となるような演奏になることが多い。
ソロのとき、頻繁に落ちてくるドラマーからのド派手な「爆撃」を避けながら、ギザギザを補正しつつ、少しずつ丁寧に音楽を進めていかなければならなくなる。
刹那的なかっこいいフレーズを奏でることを考えるのではなく、その音を出した時、そのシーンに与えるベクトルはどうなのか?そしてその音がトータルの音楽の緊張感の中でどういう役割を担うのか、結果、流れはどう移ろっていくのか?ということを考えながら、一つ一つ丁寧に作っていくことをまず心がけなければならないのだ。
そして、その中にあるここ、というポイントが見えた時にド派手なことをやればいいのだ。それは本物の名シーンになる。
こういう話はいささか抽象的すぎると思われ、理解していただけないかもしれないので、具体的なことを少し記してみよう。
安易にユニゾンになるような展開を求めない、終止のフレーズを安易に出さない、相づちを簡単に打たない、音が何オクターブも跳躍すること、又は何オクターブもの音域を行き来するようなことを安易にはしない、フレーズに頼らず、タッチ感や音量の調節によって音楽に参加する術を覚える、自分の出した音と違う方向に音楽が進んだとしたら、ということを絶えず想定しながら音を出す、自分の弾いた音をある程度は覚えておく、又弾く前に頭で音を鳴らしてから弾く、等が大事だ。
つまり、安易にやるな、ということになる。
音数は、なるべく少ないほうがいいのだが、達人は、まず音楽の骨格を理解した上で、たくさんの肉をつけるているから音が煩雑にならないのだ。
達人の演奏には音数が多い場合もままある。が、三流のそれとは、大きく違うのだ。
ぼくはそれを、聞いて理解出来るし、頭でもわかっているが、実際に即興の中で、ジャズに特有のスウィングの流れを損なわず、トータリティーを意識することは、まだ出来ていない。

  1. 2008/10/25(土) 00:18:35|
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僕がテレビを見ない理由〜エコとは

僕がテレビを見ない理由は、見る価値があると思う番組が少ないということもあるが、何よりもぼくはCMを見るのが嫌なのだ。

文明が進歩し、世の中は便利になったという。
確かに携帯電話は普及し、車も一家に一台、パソコンも個人が一台づつ所有する世の中となった。
昔に比べてずいぶん便利になったものだ。

それでも世の中に溢れる様々な物物物、この中に本当に必要なものは一体どれぐらいあるのだ??

僕には、不必要な消費を煽る、世の中のコマーシャリズムとそのからくりが滑稽に思えてならない。

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  1. 2008/10/03(金) 23:47:16|
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フットワークを軽く持とう

フットワークの軽さ。私の数少ない長所である。
僕は、大阪での仕事の「ついで」に北海道に登山にいく人間ですが、それが、いかなる形あれ、損になったことは一度もない。
普通に考えても、得るものは出不精の人間と比べて多いに決まっている。

アーティストとして、何かを感受することに対して、どん欲であることはとても大事なことだ。
それが人によっては山登りであったり、自転車の旅であったり、動物園にいくことであったり、本を読むことであったり、美味しいものを食べにいくことであったり、場合によってはパチンコを打つことである人もいるだろう。勿論、練習に対しても。

それが何であってもよい。それに対してどん欲でいよう。

また、フットワークの軽さは、なにも外向きなものにだけ限定されるものではない。
内向きなことに対してのフットワークの軽さも大事だ。
例えば、人との関わり合いに対してのフットワークの軽さ。
音楽を作るということは、人とのかかわり合いを無視しては成り立たないのだから。
人と向き合うことは大事だ。自分の意見を述べることに対して億劫でいてはいけない。
対人関係をめんどくさがっていては、得るものは減る一方だ。
ぼくは軽快に、誰とでも友達になる。軽薄といってもいいかもしれないぐらい。
全然知らない人の紹介の、全然知らない人の家に泊まったりすることは、僕にとって何の苦でもないどころか、楽しみでしかない。
そうやって、自分が一緒に音楽をする人を、音楽をする場所を、確保していくのだ。

そうして、自分にとっての日本がどんどん狭くなってきた。
それとともに、自分の音楽も広がり、友達も増え、環境はどんどん自分にとって望ましいものに変わっていった。

人生が行き詰まっている人に例外無く共通していることは、出不精であることだ。

何かを成し得ている人の口癖が、「面倒くさい」という言葉でないことだけは、確かなことだろう。
その言葉を使わないようにするところからはじめてみるといい。

少なくとも、決まりきった日常からの脱却により、気持がリフレッシュする。
これだけでも僕は演奏が良くなるのだ。

ぼくの軽いフットワークはそのうち海外にも及ぶかもしれない。
今はヨーロッパを旅したくて仕方ない。勿論チャリでね。
  1. 2008/09/25(木) 12:28:02|
  2. A
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若手シンガーのメンタリティー

自尊心なく、拗ねの感情を持って歌っている若手シンガーをよく見る。
確かに、若手シンガーを取り巻く環境は厳しい。

だけど、それに負けててはいけない。

僕が共演したいと思う若手シンガーは、それに打ち克って来た人、打ち克とうとしている人だけ。
歌が上手いかどうかは大した問題ではない。

僕と共演したいと思ってくれる若手シンガーも何人かはいる。
中には、社交辞令での発言であろうが、お手柔らかにお願いします、という発言をする人がいる。

僕には自尊心が欠落した人の発言にしか思えない。
何を手加減するのか???

僕は、19の何にも弾けない頃から、共演者に謝ったことは一度もない。
どんなにどえらい失敗をしても。
それが、自分の精神を汚すことを直感していたから。

どうせ私の歌なんて、という気持を持って、ステージに上がらないでほしい。

又逆に、反動的なエネルギーを持ってステージに上がる人のもよしたほうがいい。

反骨心を持って歌うのは構わない。だけど、反動が人を感動させることは無い。

ステージに立つ前のメンタルを確保することは、本当に、本当に難しいことなんだ。
僕自身15年以上プロとして活動しているが、未だに出来てるといえない。

ましてや、生身でステージに上がるシンガーの、メンタルを確保することの難しさは、もしかしたら想像以上かもしれない。

だけど、ステージの上によけいな物を持ち込んでることは、生身故に、一発でばれちゃう。少なくとも僕は一瞬で見抜く。

人間やから、色んな負の感情を持ってしまう。
せやけど、それに打ち克たなあかん。

当たり前のことだが、歌は練習すれば誰でも上手くなる。だから、そんなことは大した問題ではない。英語も同じ。練習すれば上手くなる。

自尊心の欠如と、拗ねの感情が、精神に変な癖をつけてしまう前に、それに打ち克とう。
誰しも、グレイトシンガーになる資格はあるのだ。

  1. 2008/08/15(金) 11:21:34|
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オリジナリティーって何?即興演奏って何?

オリジナリティーって、即興て、何?


真の意味でオリジナルであるということは、全くの独自の創作であるということだ。
だが、そんなことは、並大抵の人間に出来ることではない。いや、人間には無理だ。
音楽の神様のみ可能なことなのだ。
それらに最も近いと思われる、バッハやモーツァルトとて、自らの手本となる先達の存在あって成り立っている。


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  1. 2008/07/01(火) 13:17:50|
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価値観の狭間

最近何となく過去を振り返ってみた。

20代の頃、僕は、こうでなければならないという自分の価値観にしたがって生きてた。
自らの価値観を刃に、様々な抵触するものをぶった切ってきた感がある。
30ぐらいから、すこーしずつそれが変わってきた。

変化は僕にはドラスティックに訪れることが多いのだが、このことは、しかしすこーしずつ変わってきたな。

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  1. 2008/02/05(火) 17:56:45|
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当たり前の事を当たり前にやる

当たり前の事を当たり前にやっていく

僕は、今年の目標として、日本一のピアニストになる、との目標を掲げた。
でも日本一って漠然としている。
あの人も素晴らしければ、この人も素晴らしい。その人たちに勝つと、いったような相対的な意味では、実はない。
僕は、自分が納得出来るレベルに到達するということ、が、日本一の意味するところです。
自分自身が、誰にも負けないと思えるようになるということ。
つまり、日本一の矜持を持つこと、それが日本一の意味である。
何一つ恐れるものは無いのだということを、信じれる自分になる。
恐れ、は、外的な要因にあるようで、実は自分の中にこそ存在するのだ。
自分自身を、とことん信じれる、その強さを身につけるのだ。

では日本一になる為に、僕は何をしたらいいのか?


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  1. 2008/01/21(月) 23:24:33|
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ルバートとは

多くのジャズミュージシャンが苦手とし、特にジャズ歌手が勘違いしていることの一つに、ルバートがある。

結論から先に書く。

ルバートで演奏するのに最も大事なことは、リズム感だ。
ルバートに無いのはテンポであり、一定のパルスがないだけで、リズムは厳然として存在する。

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  1. 2007/12/13(木) 14:24:26|
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練習して出来ることと、練習では出来ないこと

上手くなりたかったら練習すればいい。
何を練習すれば上手くなるか?これは人によるし、近道はない。
いや、近道はあるかもしれない。人によっては、学習に於いて自然に近道を選べる才能がある人がいる。だが、近い道を通ったからといって、得れるものの「深み」は、遠回りをした人より少ないかもしれない。
ということは、遠回りは、実のところ近回りなのかもしれない。

ただ、確信していえることは、どのような練習をしたとしても、それらに無駄なものはない、ということだ。

敬愛するHank Jonesさんもそういっていた。 [練習して出来ることと、練習では出来ないこと]の続きを読む
  1. 2007/10/12(金) 23:21:51|
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音の理〜バドミントンと音楽の関係

ジャズのアンサンブルというのは、バドミントンしてるようなもので、僕が打った羽を相手が打ち返して、というラリーが続く感じ。

バドミントンとジャズの違いは、相手をやっつけるためにあるのではなく、お互いのラリーで美しく表現していく。ラリーが一つの作品となるのだ。


バドミントンの羽が自然に落下するように、または打ち方によって落ち方の速度も変わるように、音にも行き着く先、というものがあるり、それを無視しないのが最低源のマナーで、いわば音楽の摂理だ。理論ではない。摂理。羽が引力に逆らえないのと一緒で、音楽もそれには逆らえない。

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  1. 2007/10/12(金) 11:26:35|
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ショートケーキ型のアンサンブルと、戦闘機型のアンサンブル〜アンサンブルする力

ジャズのアンサンブルは、戦闘機の編隊飛行に似ているように思う。
三機(トリオの場合は)の戦闘機が、時にはリードする一機を多の一機が追い越し、下に宙返りし、絡みあい、時には大きく離れて飛ぶ。
出発地点と目的地点は同じではあるが、そこに至る道は違う。
どころか、場合によっては墜落してしまうこともあるし、ぶつかってしまうこともある。
このような失敗は日常茶飯事なのだが・・・。

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  1. 2007/09/14(金) 09:52:19|
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無駄にうまいということ

以前にも似たような事を書いた事があるが、もう十分速く弾けるのに、もっともっと速く弾こうと、いっぱい練習している人がいる。

そんな練習は無駄だ。

どんなに手数音数が多く速く演奏出来ようが、それが音楽に即していない、僕はフィットしている、という言葉をよく使うが、フィットしていなければ、サウンドしないのだ。
サウンドする、というのをミュージシャンはよく使うが、これは調和する、といった意味です。

フィットしていてはじめて技術は生きるのだ。
フィットする為には何が必要か?
様々な要素が複雑に絡み合うが、その中でも重要なのは、タッチだ。
タッチとは何か?音色にイメージを投影するということだ。
鋭い音色だけども、その中にソフトなイメージを投影する事も可能なのだ。
音色と、イメージ、両方の引っ張りあいによってタッチは立体的になる。

強い弱い、という左右だけではなく、深い、浅い、といった空間に立体な音。

音楽の方向性は真逆に進んでいるようでも、フィットしていれば、それは距離になる。
なんせ、みんなが思っているよりも、音楽は、立体的なんだ。

それを知らずに平面的な技術を磨いたところで、音楽家として前進しない。

例えば、僕のトリオでは、全員が、音楽の本来流れるべきところと違うところで演奏して、しかし全員がその本来の流れを見ていて、その流れのところに戻ってくる、という状態になることがある。
その状態で、三人をつなぎ止めておくために必要な事は、距離を見ながら演奏出来るリラクゼーションと、やはりタッチによるフィット感だ。

僕ぐらいの年齢の人、より少し若い人、やり始めて10年ぐらいの人がこの壁にぶち当たる。
がむしゃらに音を出してみても何故か音楽がフィットしない、スムーズに行かない事に、やり始めて10年ぐらいでそろそろ気付き出すのだ。

ちなみに、スムーズに行かない理由は、音楽の流れるべき流れ、を無視して演奏しているからだ。
自分の中で、まだ言語化されるまで整理されていない。言語化され次第書く。

その壁を、既に超えている人、超えようとしている人、超えたいと思っているがその為に必死になって速度の練習をしている人。
色々です。


速く弾く事、という平面の練習から、深く弾く、浅く弾く、という立体の練習に切り替えよう。

そうすれば目の前の扉は開くはずです。
  1. 2007/07/17(火) 12:31:46|
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音楽の軽み

日本人にとって、一音の深み、を表現する事は、意外と簡単な事なのかもしれない。

それよりも、むしろ、軽みを表現する事の方が遥かに苦手なのだ。

僕のいう軽み、とは、軽薄とは似てて非なるものだ。
以前書いた、普通とまあまあの違い、に通じるところがある。
軽いのだが、そこに品格を失わない、というような、軽み。

逆に、西洋人にとって、深みを表現する事は、難しい事なのかもしれない。

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  1. 2007/07/09(月) 10:27:08|
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おおらかである事、ハッピーである事

ハッピーである事、おおらかである事

ジャズミュージックを演奏する上において、最も重要な事、それは、おおらかでいる事、ハッピーでいる事。

おおらかな事を表現すること、ハッピーな事を表現する事、が大事なのではない。

どんなに難しい事を、前衛的な事を、複雑な事を、神秘的な事を、メカニカルな事を演奏していたとしても、おおらかな心、ハッピーでいる事、を忘れなければ、人には伝わる。

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  1. 2007/06/22(金) 02:05:57|
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更なる高みへ

僕には、音楽家として、立ちたい高みがある。

現代最高のジャズピアニスト、Hank Jonesの立っている高みに、僕も立ちたい。いや、僕はそれを超えたいと思っている。

彼の立っている場所は、山で例えるならエベレスト。
今、僕が立っているところは、せいぜい富士山か、穂高岳の山頂だ。

しかし、僕の気宇はエベレストよりも高い。

僕が、Hank Jonesを超えたいと思っている事を知ったら、大抵の同業者は鼻で笑うだろう。

笑うがよい。

超えられない、そう思った瞬間に、敗北なんだ。

その事を知らぬものは笑えばよい。

僕はピアニストであってアルピニストではない。
だから、いくら登山が大好きだからといって、エベレストやK2の高みに立つ事は一生かかっても無理だ。

だがぼくは、Hank Jonesの高みには立つ。

それは、僕には可能な事なのだ。そう信じる限り。
一生かけて貫き通す。それが僕の信念なのだ。

そう信じるものだけが、それをなし得るのだということを、僕は知っている。
  1. 2007/04/17(火) 23:42:35|
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殆どのボーカリストはステージでマナー違反を犯している

ボーカリストにもの申す

(注)これから先、ボーカリスト、と書いてあるその言葉が指す意味は、ジャズボーカリストという意味です。
ポップスや、ラテンや、ボサノバのシンガーは含みません。
何故ならば、特にボサノバやラテンのシンガーは、研究が行き届いているように思える人が多いです。
ジャズのシンガーだけ、がくんとレベルが下がります。



食事中にくちゃくちゃ音を立てて食べている人を皆さんどう思いますか??
歩きながら煙草を吸っている人をどう思いますか??
混雑した電車で、座席の横に荷物を置いている人をどう思いますか??

マナー違反だと思うでしょ?

殆どのボーカリストは、ステージでマナー違反をしています。


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  1. 2007/03/26(月) 10:30:01|
  2. B
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プロとは

やりたいことをやるのがプロだ、いや、やりたくないこともやるのがプロだ、こういう議論はよく耳にします。

僕は、やるべきことをやるのがプロだと思ってます。

やりたいことをやるのはアマチュアです。やりたくないことをやるのはバンドマンです。
やるべきことをやる人のことをアーティストといいます。

やるべきこととは、自分の芸のために必要なことです。
必ずしも演奏とは限りません。

プロになると、やるべきこと、は、やりたいことなはずです。

また、プロになると、やりたくなくても、やるべきこともあります。

しかしそれは、やるべきことなので、突き詰めるとやりたいこと、ということになります。

やるべきことは多い。

それを見つけていくのがプロです。
  1. 2007/02/16(金) 01:12:41|
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