中村の考え

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バッキング論 主にピアノ、ギター等のコード楽器のバッキングについて

バッキング論  主にピアノ、ギター等のコード楽器のバッキングについて。

バッキングは難しい。
何故難しいのかというと、他人の真似をしてもどうにもならないからだ。
自分のソロ(アドリブ)であれば、他人の物真似から学びをスタートさせることも出来るし、他人の真似を少しアレンジし、それを更に少しアレンジし、を繰り返していけば、オリジナリティーのあるソロを完成させることも出来るだろうが、バッキングはそうはいかない。
起こっている音楽はその場その場で全く違うからだ。
つまり、バッキングには、練習方法がない。
本当の意味でバッキングが上達する為には、総合的な音楽力が向上する以外に方法はない。

だがそれでは余りにも不親切なので、少しバッキングについて話をしよう。
ご存知の通り、中村の考え、は、教科書ではない。個人の思考の切っ掛けに過ぎない。そう意図して書いてもいる。故に具体的な方法については余り述べてこなかったつもりだし、ましてや音楽の「コツ」を語るなどもっての他だと思っている。が、あえて、バッキングのコツを三つ述べる。

1:音域を外す。〜ソリストとバッキングの音域を重ねない〜
2:タイミングを外す。〜音域がかぶらざるを得ない場合は、タイミングをずらすことによって重ならないようにする〜
3:音色(トーン)を外す。〜それでも重なる場合は音色を重ねない〜

そして、こういう言い方も僕らしくないと思うが、多くの、特にピアニストのバッキングは、音数が多すぎる。無い方がましだ。


さて、そもそもバッキングとは何か?バッキングとは、何をする事なのか??

1)ソリストが情報発信しやすいような間の手をうつ事。
2)ソリストの発信する情報を上手く整頓すること。
3)音楽を連続させていく事(レガート)。主に響きにより。

主にこの三つだ。

上手いバッキングは、上手い漫才の突っ込みととても良く似ている。
参考までに横山ホットブラザーズの動画をここに掲載してみる。

https://www.youtube.com/watch?v=0AnqUsl9Qy0

注目して欲しいのは、メインで話す、横山アキラではなく、マコトとセツオだ。

見事にかぶらない。
この突っ込み、アキラのぼけやしゃべりが上手く整頓され、すっと聴衆のところに届いているのが解る。
ケアとサジェスト http://nakamuranokangae.blog55.fc2.com/blog-entry-56.html について書いた事とも共通する事だが、アキラのぼけは、次の突っ込みを完全にサジェストしているし、そのサジェストを受けて突っ込む事によって、ぼけがケアされ、そして次のぼけにたいしてのサジェストになっているのが解ると思う。
これこそが達人のバッキング、いや、突っ込みなのだ。
さらに、セツオの立ち位置が絶妙だ。
よく受ける質問に、ギターとピアノのバッキングはどうすればいいのか??という質問がある。
ホットブラザーズは、ギターとピアノがいるユニットでのバッキングの割り振りについても学ぶことが出来る。故に題材として取り上げた。

アキラがメインで話し、マコトが主に突っ込んでいるときに、セツオはマコトと同じスタンス(舞台上の立ち位置のみに非ず、漫才の中における立ち位置)には絶対にいない。また、セツオが自分のスタンスを広げてきたときには、マコトはスタンスを縮小する。
ギターとピアノの伴奏はまさにこれなのだ。
ルールがある訳でもなく、割り振りをあらかじめ決めるのでもないのだ。
これらを阿吽の呼吸で、やってのける。
つまり、セツオはスタンスを広げるときに、マコトに対して無言のサジェストがあり、それをマコトは無言で受けてケアをしている。
だから、絶対にかぶらない。仮に言葉がかぶっても、スタンスが違うので役割がかぶらない。また、丁度いいときにユニゾン(あえてかぶす状態)となり、アキラのぼけをを強調しあう。
お見事。

さて、比較的具体的な2つの要素について話していったが、実は、3つ目の要素が最も重要かもしれない。
音楽、響きを連続させる事。これに関しては、何のことか解らない人が大半だと思う。
トーンクオリティーについて書いた、過去の記事 http://nakamuranokangae.blog55.fc2.com/blog-entry-53.html とも関係があるが、突き詰めれば、いい音楽とは、連続感を感じること、感じさせる事ができる音楽のことなのだ。
シンバルレガートという言葉があるが、これは、リズムを連続させる作業なのだ。
ケア〜サジェストも突き詰めれば音楽の連続感のことになる。
リズムを連続させ、そして作られていく響きを連続させる。
ワークショップ等では口を酸っぱくする程言っている事だが、音楽に於いて最も重要なことは、響きを作ることだ。多くのジャズミュージシャンはその概念が乏しい。難しいフレーズであるとか、パターンに目が行き、それらは音の響きを作るための切っ掛けに過ぎない、という事が理解出来ていない人が多い。
そして、作られていく響きと響きを、つなぎ止める役割は、ピアノの役割だ。
色んな楽器の響きにピアノの響きを少し足してやる。
また、ピアノの響きのビロードの中に、色んな楽器の音を重ねあわせ、調和させる。
そして響きを途切れさせずに連続させていく。無論、休符というのも、一つの無音という響きだ。
煮込み料理でいうところのブイヨン(ビロード)の役割。

バッキング論。コツをあえて書いてみた理由がお分かりかと思う。
いいバッキングは、果てしない音楽経験と、切磋琢磨と、試行錯誤の先に存在するのだ。
コツで出来るようなものではないのだ。


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  1. 2014/04/04(金) 16:14:03|
  2. ピアノ ギター
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:5
<<ギター論、ギタリスト論、ギターとピアノの関係性について。 | ホーム | ベーシスト論>>

コメント

ギタリストさん。
>ほとんどのクラッシックのバックグランドを持つピアニストが誤解しているのはジャズのバッキングはクラシックの左手のコードワーク、又は絵画で言うところの背景だと思っている事

を僕は、誤解だと思ってません。その通りだとおもうし、そうなし得てないピアニストが多いことを問題だと思っています。

>ソリストのメロディのリズムと即興でパルスの駆け引きを和音で行うという理解の仕方の方がアフリカを期限とする黒人音楽、又はそこから発展したポピュラーミュージックでは適切でないでしょうか。

ということが、多くのジャズピアニストが誤解しているピアノバッキングのあり方だと思っています。

つまり、あなたの考えと僕の考えは真逆です。

>吉本の漫才のノリと突っ込みはネタであり演劇的な再現芸術なので、どちらかというとクラシック音楽的なのでは?

再現芸術であれ、そこに表現の息吹がなければ、意味がない。逆に。即興であっても、コンピングがリズミックなパルスの駆け引きであるだけならば、それはただのパズルです。つまらない。多くのジャズミュージシャンのそれはただのパルスの組み合わせに過ぎず、トーンの重ねあわせ、とかのレベルに至ってないです。
多くのジャズにわくわくせず、あの練習を重ねたであろうホットブラザーズにわくわくするのは、即興の息吹と言う意味では、多くのジャズよりもよほど感じ取ることが出来るからですね。

>他人が違う理解でバッキングするからこそ、即興音楽演奏すなわちジャムセッションのアンサンブルの楽しさがあるのではないかと思います。

あたりまえですね。

>一時期チックコリアとキースジャレットが同時期に在籍していた頃の、二人のソロとバッキングの駆け引きがまさしく私の説明している事に近いかと思われます。

ふむ、聞いたことはないのだけれども。

ともかく、僕が最も謎なのは、あなたの説明を、聞いて、ぼくはそれにどう返答すればいいのか?と言う事です。
あなたは僕を、翻意させたいのか、異なる意見を交わして互いに高めあいたいのか?、それとも、匿名をいいことに、てきとうにあやつけたいのか?その辺りが、解らん。いずれでもかまわんです。一体あなたはどれなのか??
そもそも、本気で議論したいならば、本名を名乗りなさい。

  1. 2014/04/07(月) 01:51:04 |
  2. URL |
  3. mako. #-
  4. [ 編集]

コメントありがとう。
で、なにがおっしゃりたいのですか?
ちょっとよくわかりません。
  1. 2014/04/06(日) 16:27:39 |
  2. URL |
  3. mako. #-
  4. [ 編集]

考え2

エレクトリックな編成のコンボバンドであれば、70年代以降のマイルスデイビスのバンドが私の言っている事に近いと思うのですが。
一時期チックコリアとキースジャレットが同時期に在籍していた頃の、二人のソロとバッキングの駆け引きがまさしく私の説明している事に近いかと思われます。
音楽とひとまとめに語られるのは決行ですが、その背景と生い立ちに対して、差別ではなく区別して考えられた方が多様性を生むのではないでしょうか?
  1. 2014/04/06(日) 04:21:20 |
  2. URL |
  3. ギターリスト #-
  4. [ 編集]

ギターリストさん、コメントありがとうございます。
僕の考えは逆ですね。多くのジャズピアニストは、リズミックなパルスの組み合わせがコンピングだと勘違いしていると思います。いや、それがバッキングでないことはないし、ジャズのバッキングのやり方の一つではあるのだけど、先に仰った、音楽的背景を演出するという要素はかなりバッキングの要素として重要だと考えています。
僕のたとえ話の何がふさわしいか、取り上げ方のセンスの話はさておいて、ギタリストさんがどのレベルで仰っているかはよくわかりませんが、僕のレベルでいうならば、クラシックも再現芸術もジャズも同じです。
ホロヴィッツの伴奏もジェラルドムーアの伴奏も、ハンクジョーンズの伴奏も、ジミーロウルズの伴奏も、突き詰めたところにある美学は同じです。
同時進行性と、音楽の連続です。まあ似たような意味ですけどね。
譜面に書いてあるか否かは、あるレベルに行くと関係が無くなる。
音楽か否か、だけです。ある意味ジャズよりもクラシックの方が「音楽」というものにふれるのに時間がかかるかもしれないですね。譜面と言う「障壁」があるので。

  1. 2014/04/05(土) 11:57:10 |
  2. URL |
  3. mako. #-
  4. [ 編集]

考え

ほとんどのクラッシックのバックグランドを持つピアニストが誤解しているのはジャズのバッキングはクラシックの左手のコードワーク、又は絵画で言うところの背景だと思っている事。
ソリストのメロディのリズムと即興でパルスの駆け引きを和音で行うという理解の仕方の方がアフリカを期限とする黒人音楽、又はそこから発展したポピュラーミュージックでは適切でないでしょうか。
吉本の漫才のノリと突っ込みはネタであり演劇的な再現芸術なので、どちらかというとクラシック音楽的なのでは?台本のあるコントも同じです。音楽で言う即興のアドリブ演奏には笑いを取るという明確なゴールはないので見本にならないと思います。
 よりリアルで意味合いが近いなと思うのは商店街の魚屋さんとおばちゃんの値引き交渉とか、市場での商人同士の挨拶から商談への駆け引きとか、素人ゲストのバラエティー番組の司会者の話題の運び方などの会話が即興演奏のソリストとバッキングの関係に例えるのに適当ではないかと思います。
即興音楽は笑いという画一的なゴールを目指している芸術ではないので例え駆け引きがうまく行かずソリストとバッキングがぶつかっても、それが名演になる場合もあるはずです、独善的なソリストはよくバッキングに関して自分が二人いればといような考え方を抱きがちですが、他人が違う理解でバッキングするからこそ、即興音楽演奏すなわちジャムセッションのアンサンブルの楽しさがあるのではないかと思います。
  1. 2014/04/05(土) 02:31:06 |
  2. URL |
  3. ギターリスト #-
  4. [ 編集]

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