中村の考え

歌いたい曲を歌おう。和田いづみと久しぶりに共演して思ったこと。

先日、福岡のシンガー和田いづみと小倉の老人ホームで演奏した。老人ホームでの演奏は、無論、自分たちのやりたい「ライブ」ではない。いわば「営業」の仕事だといってもいい。
いづみの選曲は、クリスマスソングや、聞き慣れたスタンダードや、老人でも知っている曲が多かった。それは当然のことだろうと思う。だが、いづみは、たった一曲だけ、僕ですら知らないスタンダードを選曲していた。演奏がはじまり、50分のステージの最後から2曲目にセットされていたその曲を、ステージが押し気味であったこともあり、ぼくはその地味なマイナーキーのスタンダードを、省略することをいづみに提案した。
いづみは、いや、この曲は歌う、と言った。僕はそのとき了解した。いづみはこの曲を、自分の為に歌いたいのだ、ということを。
僕が和田いづみが、他の多くのシンガーと違うところはそこなのだ。
どんな営業の仕事であれ、自分の本当に歌いたい曲を、歌うべきなのだ。
そんな簡単なことは、実はそう簡単に出来ることではない。
そして、多くのシンガーは、それがそう簡単に出来ることではないことに、気付いてすらいない。多くの人はそれをわがままだと思っているのだ。
わがままを、押し切り通すことが、一つアーティストに重要なことだと思う。
僕はそういう和田いづみがとても好きなのだ。決して日本のトップに立つようなシンガーではない。本人もそのことは解っているだろう。だが、いづみのようなシンガーはそんなにはいない。彼女は歌うことをとても大事に思っているし、その想いを僕は大切に思っている。

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  1. 2013/12/19(木) 16:57:00|
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即興、即興演奏についての僕の考え

即興、即興演奏についての僕の考え

即興は誰にでも出来る。クラシックのピアニストだろうが、バレリーナだろうが、絵描きだろうが誰にでも出来る。
極端な話、うちのおかんにもおとんにもできる。いや、おとんは音楽家だった・・。

即興が出来ないと思っている人がいるとすれば、それは思い込みだ。そんな難しいこと出来るはずがないと。
僕に言わせれば、モーツアルトの譜面を演奏する事の方がよほど難しい。
だが、クオリティの高い即興をするのは難しいことだ。

即興に於けるアンサンブルで例を示そう。
これまでいろんな人と即興によるセッションをした。ジャンルも問わず様々な人々と。
今一な即興をする人は、相手の出しているモチーフに対する追随のシーンが多い。
いい即興家は、相手の出してきたモチーフに対しての発展や応用を提案するシーンが多い。
追随するのがダメではない。追随とはいわば、ニュートラルな状態。車の運転でいえば、アイドリングしている状態。
状態には大きくわけて3種類あると思う。
追随の状態、離反の状態、そして、応用の状態。
相手が仮に「A」という提案をしたとする。すると、それに対して「A」と返答するのみであるならば、その場は発展していかない。相手がAで来るならば、では僕はBでいこう、とか、ほう、Aで来たか、それならば僕はA’にしてみようと、少しでもいいから変化技を出していけば、話はどんどん広がっていくし、立体的になる。
いいアンサンブルには、応用の状態が多い。それどころか僕は意図的に追随の状態を避ける事も多々ある。
追随とは、ユニゾンの状態、とも言い換えることが出来る。
とある優れた即興演奏家は、ダンス等とコラボレーションの即興をするとき、意図的にダンスを見ないようにして演奏する、といっていた。それもある意味正解だと思う。極端だが。
それは即興を追随の状態を避ける、といったレベルの話ではなく、「繋がる」ということの本当の意味を問う、といった意味合いの方が大きいだろうけど。
兎も角、ユニゾンは少なければ少ない程良い。
ユニゾンは、作り込まれた、大編成の作品に置いてモチーフに厚みを持たせたりするときに使う手法だ。例えばオーケストラで、トロンボーンをオクターブでユニゾンで鳴らすと単体で鳴らすよりも厚みが生じる、とか。
作り込まれた作品で会ったとしても小編成の作品であれば、ユニゾンのシーンは少なくなればなるほど良いと、僕は考えている。

この話は完全即興の話を主眼として書かれていますが、実はそれ以外の事柄、例えばジャズのトリオのアンサンブル等に於いても同じことが言えると思う。
相手の発言(モチーフ)に対して、新しい提案をする、そして、その提案に対してまた新しい提案を繰り返していく。そういうアンサンブルが、有機的で、美しいアンサンブルとなる。
また、ソロで即興をやるときも同じことだ。自分の出したモチーフを、繰り返すのみでは平坦な即興となる。そのモチーフに対して、自分の中で新たな提案を考えていく。

精神的即興感に関しての考えは、過去のブログにありますのでご一読ください。


http://nakamuranokangae.blog55.fc2.com/blog-entry-31.html






  1. 2011/11/24(木) 14:12:11|
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脳みそ0%のすすめ

直感的に物事を捉えることは非常に大事である。アーティストに必要なのは、頭脳よりも何よりも直感力である。

とかく知識を得ると、人間は直感ではなく、脳みそで物事を捉えようとする。
私事でありますが、最近水彩画をはじめました。
とたんに美術鑑賞が直感的でなくなる。技法に目がいくようになるのです。
なまじの知識と経験は直感の邪魔になる。
では直感とは何ぞや?

将棋の世界の話をしましょう。むろん私はへぼ将棋なので、将棋の神髄を身を以て体験したことはございませんので、又聞きや文献によるお話です。
全てのボードゲームは、必勝法を探す旅、だといっても過言ではありません。
数学的に言えば、結論の存在するものなのだそうです。
オセロ等は必勝法が存在するそうです。多分、後手が必勝だったと思います。囲碁も先手有利です。だから、五目半のハンデを付けて打ちます。
ところが将棋に関しては未だ先手後手有利の結論すら出ていません。人間はおろか、力任せに計算するコンピューターですら、わからないのです。
将棋界最強の男、羽生善治が20代の頃、彼は他の棋士よりほんの少しだけ深いところまで読むことが出来ました。その読みの深さは本当に髪の毛一本分ぐらいのものだったそうです。
そして、その髪の毛一本の読みの深さで将棋界七冠王を達成しました。現在も4つのタイトルを保持している(はず)
ただ、脳みそは20代で衰えて来る。その後は経験による勘で指す要素も増えて来るそうです。
ひいては、読まない強さ、つまり直感力ですね。
しかしそれは、今までの膨大な読みの蓄積や、経験の集約からくる、直感、なのです。
適当ではない。


アーティストには3種類のタイプがある。
かしこ※に見えるかしこ、アホに見えるかしこ、アホに見えるアホ。
かしこに見えるアホはあんまり見たことないなあ、たまにお見かけしますが。

アホは、直感力で音楽を捉える。そして、絶えず新鮮にその場の音楽の局面を見ることが出来る。
ものを見ることにおいても、創作する局面においても、アホでいることは実は最高なのだ。
頭を使っているようではまだまだ。
ただ、究極の脳みそ0%星人になるには、大天才の人以外は膨大な思考と経験の積み重ねの先にあるのだ。
何やらと何やらは紙一重、まさにその通りなんだ。
勿論、僕はまだまだ脳みそを使っている。アホに見えるかしこの段階。

さあ皆さん、究極の脳みそ0%を目指そうではないか。

※かしことは、関西弁でいうところの賢者のこと。アホは関西以外では比較的きつい表現に捉えられがちがだ、バカよりはだいぶソフトな感覚で記しています。
  1. 2009/07/27(月) 13:26:53|
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若手シンガーのメンタリティー

自尊心なく、拗ねの感情を持って歌っている若手シンガーをよく見る。
確かに、若手シンガーを取り巻く環境は厳しい。

だけど、それに負けててはいけない。

僕が共演したいと思う若手シンガーは、それに打ち克って来た人、打ち克とうとしている人だけ。
歌が上手いかどうかは大した問題ではない。

僕と共演したいと思ってくれる若手シンガーも何人かはいる。
中には、社交辞令での発言であろうが、お手柔らかにお願いします、という発言をする人がいる。

僕には自尊心が欠落した人の発言にしか思えない。
何を手加減するのか???

僕は、19の何にも弾けない頃から、共演者に謝ったことは一度もない。
どんなにどえらい失敗をしても。
それが、自分の精神を汚すことを直感していたから。

どうせ私の歌なんて、という気持を持って、ステージに上がらないでほしい。

又逆に、反動的なエネルギーを持ってステージに上がる人のもよしたほうがいい。

反骨心を持って歌うのは構わない。だけど、反動が人を感動させることは無い。

ステージに立つ前のメンタルを確保することは、本当に、本当に難しいことなんだ。
僕自身15年以上プロとして活動しているが、未だに出来てるといえない。

ましてや、生身でステージに上がるシンガーの、メンタルを確保することの難しさは、もしかしたら想像以上かもしれない。

だけど、ステージの上によけいな物を持ち込んでることは、生身故に、一発でばれちゃう。少なくとも僕は一瞬で見抜く。

人間やから、色んな負の感情を持ってしまう。
せやけど、それに打ち克たなあかん。

当たり前のことだが、歌は練習すれば誰でも上手くなる。だから、そんなことは大した問題ではない。英語も同じ。練習すれば上手くなる。

自尊心の欠如と、拗ねの感情が、精神に変な癖をつけてしまう前に、それに打ち克とう。
誰しも、グレイトシンガーになる資格はあるのだ。

  1. 2008/08/15(金) 11:21:34|
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芸術における緊張と緩和について~ビバップとは

全ての摂理は緊張と緩和の連続でもある。
晴れる日もあれば雨の日もある。凪の日もあれば嵐もある。
もっと長いスパンで考えると、四季というのも一つの緊張と緩和のサイクルである。
生物の一生もそうかもしれない。 [芸術における緊張と緩和について~ビバップとは]の続きを読む
  1. 2006/07/15(土) 02:25:40|
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僕にとってのブルースとは

ジャズという黒人の民族音楽が、西洋の音楽の方法論との融合により、数学的な発展を遂げたことは周知の事実であります。

音楽には2種類あり、文学的に形成される音楽、数学的に発展を遂げる音楽の2種類です。
この区分は勿論、例え話で、僕による創作の区分です。
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  1. 2006/04/14(金) 03:05:58|
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感性について

2)感性について。

さて今度は芸術家に必要なものは何かということです。

感受性が感じ取るのは何も美しいものだけではあるとは限りません。 イラクでひどい事が行われている事や、オウムの事件や阪神大震災、もっと身近な事でもいっぱいつらい事やしんどい事はあります。
[感性について]の続きを読む
  1. 2006/03/02(木) 00:49:55|
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