中村の考え

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もっと丁寧に音楽を作ろう

若いミュージシャン、特にドラマーや管楽器奏者に多いのだが、音楽の総体の中での流れがギザギザで、あまりにも唐突で雑い演奏が多い。
何故そうなるかというと、多くの場合、彼らは自身の演奏の中で「ジャズ名場面集」の切り貼りをしているのだ。
野球で例えるなら、珍プレー好プレーばかりを見ているようなものだ。
珍プレーや好ブレーだけで一試合は作れない。
内野ゴロ、外野フライ、バント、ヒットエンドラン等の地味な作業の積み重ねの中に、たまにあるホームランや、奪三振が見物なのだ。
ジャズのアルバム一枚聞いても、殆どは地味な作業の連続で、一曲の中のここっ、というポイントにのみ、そういう華やかなシーンがあるのだが、そういう華やかな、耳につくシーンのみを抽出し、羅列しているのが、そういう連中のジャズなのだ。そこには音楽の総体としての美しさはない。
マイルスデイビスバンドフォロワーのヨーロッパの三流バンドのライブCDを聞いたことがある。本物と同じようなシーンは数多く存在するが、整頓の度合いがまるっきり違うのだ。
一つのシーンの中の音の情報が多すぎるのだ。
ドラムはホームラン打って、ベースはヘッドスライディングして、ラッパはホームスチールしている。
そういう人たちと一緒に演奏すると、僕は音を出すことが出来なくなる。ただでさえ混沌としている状態に、更に音を増やせば、混沌の度合いが増すことが明らかだからだ。
弾かない、という選択肢が、まだしもましな選択肢となるような演奏になることが多い。
ソロのとき、頻繁に落ちてくるドラマーからのド派手な「爆撃」を避けながら、ギザギザを補正しつつ、少しずつ丁寧に音楽を進めていかなければならなくなる。
刹那的なかっこいいフレーズを奏でることを考えるのではなく、その音を出した時、そのシーンに与えるベクトルはどうなのか?そしてその音がトータルの音楽の緊張感の中でどういう役割を担うのか、結果、流れはどう移ろっていくのか?ということを考えながら、一つ一つ丁寧に作っていくことをまず心がけなければならないのだ。
そして、その中にあるここ、というポイントが見えた時にド派手なことをやればいいのだ。それは本物の名シーンになる。
こういう話はいささか抽象的すぎると思われ、理解していただけないかもしれないので、具体的なことを少し記してみよう。
安易にユニゾンになるような展開を求めない、終止のフレーズを安易に出さない、相づちを簡単に打たない、音が何オクターブも跳躍すること、又は何オクターブもの音域を行き来するようなことを安易にはしない、フレーズに頼らず、タッチ感や音量の調節によって音楽に参加する術を覚える、自分の出した音と違う方向に音楽が進んだとしたら、ということを絶えず想定しながら音を出す、自分の弾いた音をある程度は覚えておく、又弾く前に頭で音を鳴らしてから弾く、等が大事だ。
つまり、安易にやるな、ということになる。
音数は、なるべく少ないほうがいいのだが、達人は、まず音楽の骨格を理解した上で、たくさんの肉をつけるているから音が煩雑にならないのだ。
達人の演奏には音数が多い場合もままある。が、三流のそれとは、大きく違うのだ。
ぼくはそれを、聞いて理解出来るし、頭でもわかっているが、実際に即興の中で、ジャズに特有のスウィングの流れを損なわず、トータリティーを意識することは、まだ出来ていない。

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  1. 2008/10/25(土) 00:18:35|
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僕がテレビを見ない理由~エコとは

僕がテレビを見ない理由は、見る価値があると思う番組が少ないということもあるが、何よりもぼくはCMを見るのが嫌なのだ。

文明が進歩し、世の中は便利になったという。
確かに携帯電話は普及し、車も一家に一台、パソコンも個人が一台づつ所有する世の中となった。
昔に比べてずいぶん便利になったものだ。

それでも世の中に溢れる様々な物物物、この中に本当に必要なものは一体どれぐらいあるのだ??

僕には、不必要な消費を煽る、世の中のコマーシャリズムとそのからくりが滑稽に思えてならない。

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  1. 2008/10/03(金) 23:47:16|
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