中村の考え

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音を歌として捉えよう

音感には二種類ある。
絶対音感という、どんな状況でも全ての音の音名が理解できる感覚と、相対音感という、これがドですよ、という基準を与えられた状態でならば、どの音であろうと理解できる感覚に分類出来る。
たまに、自分は微妙に絶対音感がある、という人がいますが、それは絶対音感とはいえません。
絶対音感とは、色が黄色であるとか、茶色であるとか赤であるとか、どんな人にでもある(色盲の人は別でしょうけど)絶対的な感覚と同じで、外しようがない感覚です。

また、音の羅列を捉える概念にも二つある、音名としてとらえる固定ド、音名読みという概念と、階名としてとらえる移動ド、階名読みという概念である。
前者は、調が例えばト長調ならば、スケールはソラシドレミファ♯ソで、後者はいかなる調であれドレミファソラシドです。
ちなみに僕は絶対音感で、固定ドと移動ド両方可能です。


絶対音感者は、左脳の言語中枢で音楽をとらえているようです。
ピアノのドをおすと、「ド」という音を発音しているようにしか聞こえないのです。故に、僕の知る絶対音感所持者の多くに、歌詞が耳に入ってこない、という人は多い。音を言語として捉えているから、それ以外の言語が耳に入ってこないのです。
僕は職業柄、英語の歌の伴奏をすることが多い。必至で英語の歌詞を聞こうと努力して、今では歌詞が耳に入るようになりましたが、未だに日本語の歌の伴奏をしても、歌詞が全く耳に入らない。恥ずかしながらキムサクの曲ですら歌詞は曖昧にしか覚えていない。
絶対音感という、優れた能力にも多くの欠点があるその一つです。
中でも絶対音感の最大の欠点は、ある曲を違う調で演奏するのが困難であることです。
例えば、何も言わずに調を変えて演奏してみます。ベーシストは対応を迫られる。その調がなんであるのか理解するのに時間がかかる相対音感者、ではあるが、調が分かれば後はすらすらと演奏できる。
絶対音感の人は、調が何であるかは即座に理解できるが、その調に対応するのは容易なことではないのだ。
相対音感者は、どの曲でもどの調でも主音をドとして理解しているので、転調が容易なのだ。
だが、絶対音の人は、音名で覚えているので、音名で読み替えなければならないのだ。
例えば、森の熊さんは、ソファ♯ソミ、ミレ♯ミド と、相対音感の人は覚えている。
だが、絶対音感の人は、調をCで覚えているならば、上記した通りだが、もしこの曲をFで覚えていたらドシドラ、ラソ♯ラファ、と覚えているのだ。
つまり、キーを変える度に覚え直さなければならないのだ。
極端なはなし、一つの曲をどの調でも演奏しなければならないとすれば、絶対音の人は、12曲覚えなければならないことになる。
これはめんどくさい。

以上のように、絶対音感や固定ドは一見大変不便なもののように思える。が、そんなことはないのです。
どころか、圧倒的に相対音や移動ドに勝る要素もあるのです。
それは、無調や、頻繁な転調を繰り返す楽曲に対しては、固定ドが圧倒的に有利だからです。
移動ド、つまり階名読みは、安定した調性があって始めて成立する概念であり、調性という基準が無くなれば、そこにあるのは絶対的な基準となる音名のみになるからです。
また、John ColtraneのGiantStepsも、ファ♯レシソシ♭ですが、強引に階名読みすればソソミミソという、意味不明な音の羅列となる。
また、絶対音感は、トーナリティーという基準のないところでの、即興演奏において圧倒的な強みを発揮する。
ホワイトアウトした雪山でも、脳内コンパスに従って道を過たず進むことが出来る動物のようなものです。
道に迷いようがない。
絶対音の人は聞いただけでその音がなんであるか理解できるが、相対音の人は、何か音を出してみてその音との音程の距離でその音がなんであるか判別し、そして次の音を出す、という作業が必要となる。
完全に2手遅れて音を出すしかなくなるのだ。
しかも、これは最も優秀な相対音感を所持している人で、の話である。
また、通常のジャズの演奏においても、調性から外れていくようなシーンは数多くある。そういう場面に対応する能力は圧倒的に絶対音の方が優れている。

と、移動ド固定ドのそれぞれのメリットデメリット、絶対音感相対音感のメリットデメリットを列挙してきたのだが、実際のところ、音をどうとらえているか?は100人いたら100通りの捉え方があると思う。
絶対音感とて、人それぞれ全く違うと思う。
ヘルツが2変わっただけで困るという絶対音感者も少なくない。
自分の音感的な能力は変えようがない。
相対音感の人が、成人して幾ら訓練しても、幼少の頃の訓練により身に付いている絶対音感のような音感は絶対に身に付かない。
また、絶対音が邪魔だ、と思っても、そのオプションを取り外すことは不可能である。
だが、移動ドや固定ドの概念であれば、訓練で身につけることが出来る。
僕自身は、和声学を学ぶ上で、ディグリーネーム(主音を1、属音を5等と数字で音を分類する和声の体系)で解釈することが出来るようになったので、自然に移動ドも可能となった。

そして、移動ドとか固定ドとか、そんなものは音の捉え方の方便に過ぎない。
音というものには元々名前などないのだ。
タララ~ムフフ~デュビデュビ、なんでもいい。そこにあるのは歌、メロディーなのだ。

楽器を使って、自由自在に歌を歌うことが出来れば、それで良いのだ。

そこに到る通過手段として、音名やら階名の概念があるに過ぎない。
音を歌として捉えよう。
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  1. 2010/11/10(水) 15:26:17|
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