中村の考え

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アンサンブルに於けるcare と suggestの関係

care と suggestの関係。

アンサンブルは、全てケアとサジェストの関係で成り立っている。
ジャズの複雑なアンサンブルの最も最初の段階を考えてみよう。
一拍目、ベースが音を出す。二拍目、ハイハットが音を出す。
それらが連続していく。
最初のベースの音は、二拍目のハイハットの音をサジェストしていなければならない。
どんなハイハットの音が欲しいのか、どんなタイミングなのか、等。
二拍目のハイハットの音は、その一拍目のベースの音をケアしていなければならない。
そのハイハットの音のタイミングやトーンにより、前のベースの音のタイミングやトーンをベストなものとしてケア出来ている必要がある。
そしてそのハイハットの音は次に再び来るベースの音のタイミングやトーンをサジェストしていなければならない。
もっと感覚的な言葉でいうと、ベースの一拍目に対して、最も「いい感じに」ハイハットを鳴らさなければならない、ということだ。

ところが、これが案外出来ない。全国でワークショップしている中で最もレベルが高いはずの、東川口での東京のプロミュージシャン相手のワークショップでも、この最も最初の段階の受け答えでつまずくミュージシャンが多い。
何がいい感じなのか、という問題に関しては残念ながら感覚的な問題でしかない。これはこういうのがベストなんだ、というふうに言葉では残念ながら答えようがない。いい感じはいい感じであるということでしかない。
出来てない、ということを知って、自分で考えてみるしかない。僕は、出来てない、という指摘と、まぐれ当たりにうまく行ったことの指摘をすることしか、残念ながら出来ない。

そして厄介なことにこのケア~サジェスト、受け答えというものは、ハイハットとベースの関係のみならない。
全ての音は、ケア~サジェストの関係で結びついているのだ。
スネアの1ショットは、ピアノのバッキングの音とケアサジェストの関係にあるし、バスドラムの刻む四分音符は、自分の出しているシンバルレガートの音とケアサジェストの関係にある。サックスのトーンはシンガーの母音の響きとケアサジェストの関係にあるし、ベースラインの高低はピアノのメロディーと対位的にケアサジェストの関係にある。
要するに、全ての音は、お互いにケアしあい、サジェストしあっているのだ。
いいアンサンブルとは、全ての音が有機的に結合している状態である。
有機的な結合は、ケア~サジェストの関係から生まれる。
ケア~サジェストとは、要するに、他の音との意味のある結びつきを作ることにあるのだ。

同時に音がなっていても、メトロノーム的にずれていなくても、無関係な音であれば、有機的な繋がりは生まれないのだ。
有機的な結合は、まず周りの音を聞くことから始まる。
まず最初に聞くべきは、自分の音だ。自分の音は周りの音ではないのではないか?否、自分の音は周りの音だ。自分の出した音は、その空間という「周り」に放たれる最も自分に近い、周りの音なのだ。
本当の意味で自分の出している音のすべてを聞くことが出来ているのか?それを自らに問うてみるところから全ては始まります。案外聞けていないことに気づくはずです。
本当に自分の音を聞くことが出来たなら、自分の音と重なる他人の音も当然聞こえてくるはずです。
自分の音を聞く、ということは、その空間という「周り」に放たれた音を聞くということなのですから。
周りには他人の音も放たれている。そして、それらを「いい感じに」重ねあわせるところから、有機的な結合は生まれる。
いい感じに重ねあわせる、ということが、ケア~サジェスト、ということなのです。

フレーズの組み合わせをアンサンブルと勘違いしているジャズミュージシャンは数多い。
確かにフレーズの組み合わせはケアサジェストの関係で成り立ってはいる。
しかし、それはアンサンブルを構成する全ての要素の1/100にも満たない事柄なのだ。
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  1. 2011/11/24(木) 16:16:33|
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即興、即興演奏についての僕の考え

即興、即興演奏についての僕の考え

即興は誰にでも出来る。クラシックのピアニストだろうが、バレリーナだろうが、絵描きだろうが誰にでも出来る。
極端な話、うちのおかんにもおとんにもできる。いや、おとんは音楽家だった・・。

即興が出来ないと思っている人がいるとすれば、それは思い込みだ。そんな難しいこと出来るはずがないと。
僕に言わせれば、モーツアルトの譜面を演奏する事の方がよほど難しい。
だが、クオリティの高い即興をするのは難しいことだ。

即興に於けるアンサンブルで例を示そう。
これまでいろんな人と即興によるセッションをした。ジャンルも問わず様々な人々と。
今一な即興をする人は、相手の出しているモチーフに対する追随のシーンが多い。
いい即興家は、相手の出してきたモチーフに対しての発展や応用を提案するシーンが多い。
追随するのがダメではない。追随とはいわば、ニュートラルな状態。車の運転でいえば、アイドリングしている状態。
状態には大きくわけて3種類あると思う。
追随の状態、離反の状態、そして、応用の状態。
相手が仮に「A」という提案をしたとする。すると、それに対して「A」と返答するのみであるならば、その場は発展していかない。相手がAで来るならば、では僕はBでいこう、とか、ほう、Aで来たか、それならば僕はA’にしてみようと、少しでもいいから変化技を出していけば、話はどんどん広がっていくし、立体的になる。
いいアンサンブルには、応用の状態が多い。それどころか僕は意図的に追随の状態を避ける事も多々ある。
追随とは、ユニゾンの状態、とも言い換えることが出来る。
とある優れた即興演奏家は、ダンス等とコラボレーションの即興をするとき、意図的にダンスを見ないようにして演奏する、といっていた。それもある意味正解だと思う。極端だが。
それは即興を追随の状態を避ける、といったレベルの話ではなく、「繋がる」ということの本当の意味を問う、といった意味合いの方が大きいだろうけど。
兎も角、ユニゾンは少なければ少ない程良い。
ユニゾンは、作り込まれた、大編成の作品に置いてモチーフに厚みを持たせたりするときに使う手法だ。例えばオーケストラで、トロンボーンをオクターブでユニゾンで鳴らすと単体で鳴らすよりも厚みが生じる、とか。
作り込まれた作品で会ったとしても小編成の作品であれば、ユニゾンのシーンは少なくなればなるほど良いと、僕は考えている。

この話は完全即興の話を主眼として書かれていますが、実はそれ以外の事柄、例えばジャズのトリオのアンサンブル等に於いても同じことが言えると思う。
相手の発言(モチーフ)に対して、新しい提案をする、そして、その提案に対してまた新しい提案を繰り返していく。そういうアンサンブルが、有機的で、美しいアンサンブルとなる。
また、ソロで即興をやるときも同じことだ。自分の出したモチーフを、繰り返すのみでは平坦な即興となる。そのモチーフに対して、自分の中で新たな提案を考えていく。

精神的即興感に関しての考えは、過去のブログにありますのでご一読ください。


http://nakamuranokangae.blog55.fc2.com/blog-entry-31.html






  1. 2011/11/24(木) 14:12:11|
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