中村の考え

守り、認めること 例えば、魚の骨を取ってやること

子育てには四つの要素があるそうだ。
守る、守らない、認める、認めない、という四つの要素。
守り、認める、これこそが理想の子育てなのだそうだ。
僕は、年齢的にも職業的にも幅広い層の人々を知っている。子を育てている親も知っているし、育てられている子も知っている。ちょうど親離れをしようとしている時期の知り合いも多い。故に、自身の離婚のときに、離婚した夫婦の話、親に離婚された子供の話、等色んな立場の人の話を聞くことが出来たことは有意義であった。。
僕自身、一緒に住んでいる訳ではないとはいえ、子がいることもあり、子育てには無論興味がある。様々な夫婦の子育てや、様々な若者の育ってきた環境、等を興味を持って観察してきた。
色んな人たちを見てきて、本当の意味で守り、認める子育てが出来ている夫婦は案外少ない。
守り、認めない子育てに陥りがちなのだ。
考えてみれば、守ること、と、認めないこと、は実は良く似ている。
例えば、魚の骨を取ってやること、は、子供を守ってはいるが、認めていない。
この子は、魚の骨を取ることが出来ない、という判断を下しているのだ。このようなケースは多々あり、多岐にわたるだろう。
かくいう僕自身、親から守り、認められず育った。客観的に見て、僕の家の弟妹はかなり優秀だ。妹も弟も京都大学法学部を現役で合格し、妹は弁護士、弟は一流企業に勤め、おそらくは僕の年収ぐらいの月収があるだろう。その弟妹ですら、親から認められた認識は乏しいだろう。
無論、僕も41歳、今更、親に認められる認められないで自己評価が変わる訳ではないし、認められず育ったことの責任を親に問いたい訳でもない。
が、認められず育ったことが無意識下の自分の言動に現れていることは否めない事実だと思う。

認めることは子育てに限らず、音楽家等の育成に於いてもとても重要だと思う。
また、何らかの事業を行う上においても、とても重要だと思う。
好きな言葉に、山本五十六の「話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。」という言葉がある。
命令し、やらせると、結果は出るかもしれない。だけど、その結果は継続しない。結果を継続させるためには、育成が必要なのだ。
特に中間管理職的な役割にいる人は、部下の出した結果で、上司に判断されるのだから、任せることには勇気がいることだろうと思う。僕たちのような世界に生きる者には想像のつかないストレスもあることだろうと思う。が、そういう状態で任せてくれたことに、応えようとするのではないだろうか??
僕は、自身のワークショップ等で最も重要に考えていることの一つに、思考させること、がある。
僕のワークショップで受講者に禁じている質問がある。それは、〜してもいいですか?という質問だ。
〜したいと思うのですが、どう思いますか?と聞いてくれ、と答える。
自分の力で考えたことに対して、是正し、僕の意見を述べる。育成の最初の段階は、思考することにある。僕は、疑問力、と呼んでいる。Why、が、思考に繋がり、Howになっていけばしめたものなのだ。

こんな言葉がある。
何かをなし得る人間は、両手で師の門を叩くことはできない。何故ならば、片手には既に自分の作品をもっているから。
かくいう僕も、17のときに作曲の先生の門を叩いた時、書きかけの交響曲をもっていったものだ。無論お粗末きわまりない作品だが。

話はそれたが、和音(僕の息子の名前。かずおと読む)を育てる上において、認めることを忘れずにいたいと思う。
子を認められる親でいたいと思う。


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  1. 2013/01/17(木) 13:45:16|
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