中村の考え

芸術家としての初心

究極の所、芸術家に必要な努力というのは、初心をどれだけ貫徹出来るか?だけであるといっても過言ではない。
ところが得てして、外的な要因によりその意思は簡単に挫かれる。
残念なことに、大半の芸術家、特に音楽家は、それが挫かれていることに気付いてさえいない。挫かれた先にはるのは、産業主義的な、音楽業界とのなれ合い。規模の大小はありこそすれ、ね。

自分の意思が挫かれる外的要因には様々なものがある。
創作の過程に訪れる貧困、もしくは、その逆もあるだろう。少しばかし作品が売れて有頂天になること、もあるだろう。
また、少しばかり得た地位であるとか、名誉であるとか、を、守ろうとしたときにも挫きは訪れる。
芸術的なある種の型を守ろうとすること、それも一つの負けなのだ。ただ、そんな純粋な話は今はひとまず置こう。

初心を貫徹すること、これはある意味守るということではないのか?そうではない。
初心とは、感動なのだ。今現在、どんなにくだらない産業音楽の世界に身を置いている音楽家でも、感動したからこそ楽器に向かったのだ。なりふり構わず楽器に、音楽に取り組んだ時期がない音楽家はいない。
そのときの気持ち、これを少しずつ外的な要因により、摩耗させられていってるのだ。
そのことに、ほんの少しだけでいいから気付けばいい。
そうすれば、今守ろうとしているレコード会社との契約を守ることの無意味さや、節を曲げてまでやりたくもない音を作っていることの愚かさに気付くだろう。

音楽家は貴族だ。芸術の中で貴族的な存在なのだ。
ノーギャラで演奏出来る音楽家はそうはいない。だが、多くの美術家は、ギャラリーに高い金を払い、展示させてもらい、あげく売れなければ完全赤字、売れても半分ギャラリーに手数料をもっていかれる。
その値段は、例えば潦をもし、営利目的で貸したとすると、一週間で30万円ぐらいだろう。
音楽家に、一週間30万円の貸しホールで、入場料の半分をホールにもっていかれるとして、音楽を続けていける人は一体どれぐらいいるだろうか??
僕は、貴族的な音楽家は音楽をやるべきでないと思う。
僕は自転車で地べたを這って日本全国を回った。だからわかる。

音楽家としてしか生きていけない人、以外音楽をやるべきではない。
芸術とはそういうものだ。
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  1. 2013/09/26(木) 16:30:45|
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