中村の考え

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他の地方に比べて東京のジャズシンガーのレベルがダントツに低い理由について

東京のジャズシンガーがなぜ全国的に見てもダントツでレベルが低いのか

まず最初に、東京に限らず、またジャンル問わず、シンガーというのは楽器演奏者に比べレベルが低い。
理由は、楽器を演奏するためにはそれなりの鍛錬が必要だが、ただ歌うだけであるならば誰でも歌えるからだ。つまり、とっかかりのハードルがそもそも低いということだ。
故に、音大では最も声楽科の偏差値(というのは音楽においては存在しないけれどもわかりやすくこう記す)が最も低い。ピアノ科に行きたくて行けなかった人が声楽を目指すというパターンが多い。そんな動機では当然、上手かろうはずもない。
まあ現在では、ジャズ科、という更に偏差値の低い学部があるが…。
ただこれは相対的な話であり、絶対的な意味合いに於いてシンガーが器楽奏者に劣るということではない。
フィッシャーディスカウとホロヴィッツ、メルトーメとジョージシアリング、いずれが優れているかなど論じることすらナンセンスである。
歌は誰にでも歌えるが、一流のレベルに到達するための鍛錬は、他の楽器に比べて容易である訳ではない。
要するに、シンガーのレベルが低いというのは、「底辺のレベルが低い」ということに他ならない。


さて、日本に限らず、あらゆる地域において、音楽やる前のお作法というか、風習というか、ローカルルールのようなものがあると思う。些細なことでは大阪のベーシストはチューニングトーンをGで取るが、たいていのほかの地方ではAでとるとか、札幌ではオリジナルを持ち寄って演奏する頻度が他の地方に比べて多いことや、世界的なことでいえば、ドイツ系の交響楽団、ウイーンフィルなどではロータリートランペットを使うことが多いということだとか。
おそらくはニューヨークのジャズとウエストコースとのジャズにおいてもちょっとしたローカルルールの違いなど一杯あるだろう。
そういったことはいろんな意味で興味深いことだし、研究したら面白いかもしれない。


東京ジャズボーカル界には大きな害悪が二つある。
客さえ入れられればどんなヘタクソでも出演できてしまう店のシステムと、伴奏者の基本姿勢がなってないこと、ということ。


ほとんどの東京のジャズシンガーは、アンサンブルが出来ない。
アンサンブルとは、相手に合わせることでも、相手に合わせてもらうことでもなく、共演者を操作することだ。
操作するためにはサジェストできなければならないが、相手からもまたサジェストがある。それを受け答えして新たなサジェストをしていくというような、音楽上のキャッチボールができることがまずアンサンブルの基本だと思う。むろんこれは歌に限った話ではない。

ところが多くの東京のピアニストは、アンサンブル出来ないシンガーに対して一方的なカラオケのような伴奏をする。まるでシンガーがバックを操作できているかの如く振る舞うのだ。
そしてそういうピアニストが歌の伴奏がうまい人、という評価を得る。

東京に出てきてすぐ、本当に下らない銀座の店で歌伴の仕事をしていたのだが、シンガーがへたくそなことは兎も角、出演している東京の一線クラスのミュージシャン達の、シンガーに対する姿勢がひどすぎることに対して僕は驚いた。誰一人まともに伴奏などしていない。どうせ歌えるはずがない、と思って、キャッチボールをすることにチャレンジしている人など一人もいなかった。一方的な与えるだけの伴奏、カラオケの伴奏に徹していた。
僕はその人たちの、ミュージシャンとしての挟持を疑う。

僕はその中で一人だけ本気で伴奏をしようとしていたら、こんな伴奏で歌えない、と、ステージ上で、曲中に、歌っている最中に、マイクを通して言ったシンガーがいた。

僕は、アンサンブル出来ないシンガーに対しては、アンサンブル出来ていない、ということをはっきりと明示する。というより、アンサンブル出来ない人に対して、僕はアンサンブル出来ない。当然だ。アンサンブルの基本はキャッチボールなのだから。
ボールをキャッチできない人とキャッチボールが出来るか?
僕は、懇切丁寧に取りやすいようにボールを投げてやることは出来る。7歳の息子に取りやすいようにボールを投げることは出来る。僕はプロ野球選手並みのすごい球をシンガーに投げつけている訳ではない。本当に取りやすいように、手元にふんわりと、可能な限り工夫して投げているのだ。でも、それを取れない人とキャッチボールは出来ない。



シンガーはピアニストが育て、ピアニストはシンガーが育てると思う。
そういういいサイクルが、関西のジャズ界には存在する。
大阪のピアニストの層は厚い。竹下清志、岩佐安彦、木畑晴哉、中島徹など、日本レベルで見てトップレベルのピアニストが幾人かいる。
無論大阪にも、僕の目には伴奏に少々難があると思われる人もいるはいるが、少なくとも上記したような演奏はしない。関西のジャズボーカリストは必然的にいい経験を積んでいることになる。



かくいう僕も、20代の前半、綾戸智絵や、東雲マリといった格上のシンガーとの本気での共演により、歌の伴奏の技術、音楽の技術を磨いてきた。
そしてそれを僕の後輩の音楽家達、例えば溝口恵美子(年齢的には同い年だが)や、伊藤大輔(彼は東京だが)に伝えてきた。
そして溝口は木畑と共演し、彼らに伝えてきたに違いない。木畑はそれを今大阪のたくさんのシンガーに対して伝えているだろう。
そういった正の連鎖が、東京のジャズ界にはほとんど見られない。
むろん東京のジャズシーンにおいても本当にトップでやっている人たちの中には素晴らしいシンガーもいるだろう。だけど、東京のシーンの中において、本当の意味で切磋琢磨できる環境は、ほぼないと言っていい。
僕は阿部智子に東京を離れ札幌に帰ったらどうかと提案した。
汚水の中にいてせっかくの才能を汚してほしくないという思いがあったからだ。
どんな環境においても自分の精神が小揺るぎもしないという立場と自身を蓄えてから、東京に戻っておいでといった。



しかし関西の音楽シーンや札幌の音楽シーンが全体的に東京よりいいとは僕は思わない。
関西のベーシストは東京に比べレベルが低いし、管楽器奏者もしかり。
演奏に責任感がない人が多いし、うまく行かないときのあきらめが早い人も多い。
音楽のスケールが小さいプレイヤーも多い。
関西の嫌な一面。
また僕は札幌ほどミュージシャンが大事にされていない地域を他に知らない。
かなり厳しい環境で演奏活動をしていると思う。でも札幌のミュージシャンのミュージシャンシップは僕は大好きだ

東京のローカルルール、シンガーに対してはカラオケ的伴奏に徹すること、というのがあると思う。刹那的に仕事としてその現場をこなし、音楽のシーン全体のことなどどうでもよいという利己的な発想、金もらえるからまあいいか。
僕は不誠実で不親切だと思う。
残念なことに、一流の、インストルメントにおいては僕ですら聞きに行きたいなと思うほどのピアニストですら、そのような不誠実な伴奏に徹する。

そして、多くの、アンサンブル出来ていないことに気付いてすらいない東京のジャズシンガーは、僕のように、ちゃんとキャッチボールをしようよ、というピアニストの伴奏を、不誠実で不親切だというのだ。

多くを語ったが、一番悪いのは、シンガー自身の志が低すぎることだ。
東京のジャズシンガーは、アンサンブル出来ていないこと、どころか、自分たちが志が低いんだ、ということにすら気付いていない。そのことが何よりも一番の害悪だ。

僕とたまにやりたがるシンガーはいるが、長続きしたためしがない。
最初は少ししんどくても、僕とやり続けることが出来たら、少なくとも一年はやり続けることが出来たらなあ、と僕はいつも思いながら、去っていく、東京の、全国的に見てもダントツにへたくそなジャズシンガーの背中を見送っているのだ。












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  1. 2015/10/21(水) 15:52:40|
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