中村の考え

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ドラム論

ドラム論

ドラムは難しい。ドラムは一つの楽器ではない。いくつかの楽器が総合されてドラムと呼ばれるものになる。。
バスドラム、トップのシンバル、ハイハット、スネアドラム、等、すべては別の楽器といえる。
ドラマーはたくさんの楽器を同時進行で演奏するという離れ業をやってのけなければならない。
ドラムの仕事の主はリズムをつかさどること。ドラムは、バスドラムで四分音符、ハイハットは二分音符、シンバルにおいて八分音符をつかさどる。あらゆるリズムのオーケストレーションを一人で担当しなければならない。

ドラムは簡単だ。ドラムにはたくさんの要素がある。バスドラム、トップのシンバル、ハイハット、スネアドラム等。ゆえに表現の幅も、表現に対する選択肢も数多くある。ゆえに、四分音符、二分音符、八分音符などの様々なリズムのオーケストレーションを表現することが楽にできる。
ベースはそうはいかない。弦が四本の上に、原則的に一小節に4つしか音を出してはいけないというルールの下、あらゆる音符を表現できなければならない。要素がシンプルであるということは、それだけ表現の選択肢が少ないということになる。
コーヒーをおいしく淹れるためには様々な要素がある。豆のひき具合、湯の温度、湯と粉の接触時間、落とし方、蒸らしの時間、等様々な要素がある。だが、紅茶をいれるため必要なことは、適量の茶葉を温めたポットに入れて熱湯を入れるだけ。
コーヒーが上達するためには工夫すべき要素がたくさんあるが、要素の少ない紅茶を入れることにおいて、ワンランク上の味を求めることはこれは非常に困難なことだ。
どちらが難しいか、一口では言えない。
要素を持て余している時点でまだドラマーといえる存在ではない。
少ない要素で表現できる範囲のことに限定して表現している時点ではまだベーシストとは言えない。
要素を自由自在に使いこなせて初めてドラマー足り得る。四つの音のみしか聞こえてこないようではまだベーシストとは言えない。


日本人は基本的にジャズに向いていない。リズムを面的にとらえることが困難だからだ。
ジャズに限らず、西洋音楽のリズムは面だ。いや、立体かもしれない。何らかの有機的な質量をもった、いわば箱のような筒のようなものだ。
ひとまず、面、と表現することにしよう。
ところが日本人は、リズムを点でとらえる。点と点の間には何も存在しない。空間が存在する。
良し悪しではない。そういう資質なのだ。

絵画で例えると、西洋画で、キャンバスの地がむき出しになっている絵を見たことがあるだろうか?
現代的な絵画ならいざ知らず、いわゆる油絵は、その面をすべて絵具で満たす。
ところが、日本の絵画では、画材の地に何も塗られていない部分がある絵画はいくつもある。
書などはさらに顕著であろう。点を打った次の点までの空間は、和紙の上には存在しない。それを「懸想」させる何かが存在するのみだ。落下する墨の速度感が、それらを懸想させることもあるだろう。または次の点の打ちつけるタッチによりその空間に存在した速度を表現することもできるかもしれない。

西洋的な美は、そこに自分の言葉なり色彩なり価値観なりで空間を満たすことにある。一方、日本的な「美」は、存在しない空間を懸想させることにあるといえるかもしれない。
いずれが優れているかという話ではない。これらは「違い」でしかない。
ただ、ジャズ音楽をやるうえにおいて、「価値で空間を満たす」方法を必ず学ばなければならないだろう。


あるプロのドラマーに、ワークショップで、一拍を表現してみろ、といったところ、ブラシでスネアドラムをトンと叩いた。
それは点であり、一拍ではない。そのドラマーもそのことは理解している。だが、「思わず」出た行動が、トンと点をたたいたことが重要なのだ。
頭でわかっていることと、体が分かっていることは全然違う。とくに国民性からくるような習慣の違いを是正するためには、体が理解することが何よりも大切であると言える。



特別音量も音数も多いわけではないけれども、「うるさく」感じるドラマーというのがいる。
そういうドラマーは、リズムを「刻んで」いるのだ。
リズムは刻んではいけない。リズムは繋ぐものだ。
刻まれると、音楽が区切られるように僕には感じる。区切られると価値を押し付けられている気がする。価値を押し付けられると音楽が否定されている気がするのだ。
シンバルレガートという言葉がある。点と点で音を刻んでいくのではなく、シンバルの音を、リズムを、次の音につないでいく、それがシンバルレガートの意味なのだ。
レガートという言葉は、アーティキュレーション記号でいえば、スラーで表記されるだろう。スラーとは、音と音を繋ぐことだ。
音がつながるとはどういうことか?
過去の記事、音のケアとサジェストについてのことと同じことといってもいいのだけど、http://nakamuranokangae.blog55.fc2.com/blog-entry-56.html
その音が次の音をサジェストしていて、その次の音は前の音をケアしている状態のことだと思う。
その音は、最高の次の音をサジェストしていて、その次の音の表現が、前の音を最高の音に仕上げる、そしてさらにその次の最高の音をサジェストしているという連続。
連続するリズムの面の中では、どのような表現も自由足り得る。一切の束縛を感じることがない。ジャズ音楽は、意見の対立こそあるが、基本的には全肯定の音楽だ。




音を点でなく面でとらえるためにはどうすればいいか??
自分の音を聞くことから始まる。自分の音を聞く、そんなの当然聴いていると思うだろう。ところが、音が連続していないプレイヤーの多くは、自分の音を聞いていない。
自分が音を出すまでの意識しかない。聞くべきは、自分が出した後の音を聴くのだ。
空間をキャンバスであるとイメージする。そして、自分の音という絵の具がそのキャンバスを「過不足なく」満たしている、その音を聞くのだ。
空間を満たしている音を「見つめる」のだ。
そうすると、おのずと自分の出している音に重なってくる「他人の音」に耳が、目がいくだろう。
そうなってくるとしめたものなのだ。
音は、空間を満たすものである。その意識の開拓が、リズムを面的にとらえるはじめの一歩となるだろう。




ドラムはパターンではない。多くのドラマーはパラディドルなどのパターンの組み合わせをドラムだと思っている。違う。
とくにジャズにおいては4ビートという、多くの2ビート基本の音楽(8ビートも16ビートも広い意味では2ビートだ)とは違い、音が繋がっていく状態を構築するのに必要な要素が果てしなく多くなる。
要素は2ビートの倍ではない。2ビートは、強:強、強:弱、弱:強、弱:弱、の四種類の要素に要約されるが、4ビートは違う。全部強いの、最後の一拍だけ弱いの、最初のが一番強くて次のは二番目に強くて~、最初の一つは一番弱くてその次が三番目に~など、あげて言ったら、2ビートとの要素の開きは数乗の開きとなるだろう。あくまで、これはロジカルな話ではあるけれども、それぐらい4ビートは難しい。話は少しそれるが、ゆえに構造がシンプルである。ジャズのリズムのパターンはブラジル音楽のパターンやキューバの音楽のバターンに比べるとはるかにシンプルである。
キューバやブラジルの音楽は、シンプルな2ビートであるがゆえに垂直方向の構造は果てしなく複雑化していく。そういうことが可能な音楽なのだ。
余談だが最近のジャズの中には、4ビートであるにもかかわらず構造を複雑にしていったものが多くみられるが、そういう音楽は、4ビートのリズムを2ビート化してとらえているように思える。
つまり、ジャズのスイングをとらえるためには、上記したような、本当に複雑な4分音符の連続を完全にコントロールできなければ、本当の意味でスイングを理解することはできないのだ。
当然スイングはパターンで理解することはできない。シンバルのレガート一つだけで、あらゆることが表現できる。それが出来なければジャズを本当の意味で演奏することはできない。


シンバルのレガートはメロディーと密接なかかわりも持つのだ。
僕のトリオのドラマーでもある芳垣安洋のシンバルのレガートは本当に僕のピアノのメロディーをケアしている。残念ながら僕は彼の音のケアをケアできるほどの音楽力はない。
シンバルのレガートの八分音符一つ抜くだけで生まれるスペースがある。一つ増やすだけで、増える空間の密度がある。
その粗密をコントロールして音楽をレガートしていくことが出来る。
ドラムの仕事の一つとして、バンドにグルーブを与えるというものがあるが、バンドに与えるグルーブが一方向的、つまりドラム側からの提案のみに終始するドラマーが多い。ショートケーキのようなアンサンブルが求められる、http://nakamuranokangae.blog55.fc2.com/blog-entry-25.html
ような音楽においては、一方向からのグルーブの提案でもよいのかもしれないけれども、ジャズのような音楽においては、共演者の感じているスイングの形であるやら強さであるやら大きさのようなものを、一旦自分の中に取り込んで、再構築してバンドに提示する、というようなことができると、音楽の密度は増すだろう。
そういうこともケアとサジェストの一つといえる。





以上長々と書いてきましたが、くだらない嫌味話で最後を締めたいと思います。
僕は、クラシックのオケを聞くときに、主に打楽器を聞きます。そしてコントラバスを聞きます。
その理由は、自分の活動するフィールドにおいて、その二つの楽器の美しい音色をお目にかかることがなかなかできないからです。(笑)
優れたドラマーはあらゆる楽器の音を押し出すが、へたくそなドラマーは音をマスキングする。
キムサクで共演していた光田さんが本当にいいときは、木村のベースの音がティンパニーのように聞こえ驚いたものだ。
せめて僕の音を消さないで。ドラマー諸君。
















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  1. 2016/03/17(木) 17:31:46|
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