中村の考え

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管楽器奏者についての僕の考え

管楽器奏者について。

という文章を書いたらどうかと言われたが、あまりにもテーマが広すぎてはたと困った。

今回は、ピアニストの視点から見た、いや、僕の視点から見た、管楽器奏者に対する想い、要求、希望、不満について述べたいと思います。また、ジャズの(に限定しないシーンもあるけど)小編成のアンサンブルユニットにおいた話に限定したいと思います。
つまり、テーマの多くは、フロントプレイヤーとしての管楽器奏者の話になります。


管楽器奏者はユニットに於いてのリーダー的存在といっていいでしょう。また主にテーマのメロディーを担当することになります。
故に音楽の責任の多くを負うことになります。
音楽の進む方向性を指示し、流れを作り、その流れを次の奏者にバトンしていく。
また最後にテーマに戻る時の流れを作り、エンディングまでの流れのコーディネートをする。
バンドにおいて、最終的な決定権を行使する最高権力者なのです。


僕自身が管楽器奏者を選び、つまりは僕がリーダーで管楽器奏者とのデュオの演奏をすることがよくあります。
その時には、原則的に管楽器奏者にすべての権限をゆだねます。選曲、テンポ、等。
その編成でもピアニストが権限を行使するプレイヤーもいます。僕はそうしない。その理由は、テーマのメロディーを担当する管楽器奏者に吹き慣れていない曲を演奏させることが僕は嫌だから。
また、自分自身が権限を行使せずにでも、自分自身の世界観を音楽に投影しうるという矜持もあります。


フロントプレイヤーには権限があると同時に、責任が伴います。
フロントがその権限を存分に行使できないとバンドは方向性を失い、空中分解するか、バンドから疎外され、リズムセクションに好き放題やられてしまう事もあるでしょう。
要するに、栄光の多くを占めることができると同時に、最も恥をかかされる可能性があるという事です。
僕に好き放題やられた経験があるフロントプレイヤーは数多くいるだろう。




いいフロントプレイヤーには必ず提案がある。
自らの世界観をカルテットなりデュオなりに投影しうる自分がある。
自分のワールドを共演者に提案できることが、まずは何よりも重要だろう。
いま一つなプレイヤーは、世界観に欠けるか、あっても小さく自分だけの世界に完結し、閉じている場合もある。
世界観の欠けるフロントプレイヤーの伴奏は至極困難だ。何度も僕はお地蔵さんになった。
僕をお地蔵さんにした経験のある管楽器奏者は数多くいるだろう。


いいフロントプレイヤーには必ず要求がある。
その話をする前に、管楽器奏者には2種類いる。
いい音で吹く人と、周りをいい音にする人。
藤原道山さんという尺八奏者がいる。僕の父親の作品で演奏してくれていた。彼が吹くと、四重奏の音がどんどん変わっていく。彼のトーンのちょっとした傾け方で、バンド全体の響きをコントロールする。

無論西洋音楽の管楽器でももちろんそれは可能だ。

橋爪亮督は、自分の音の成分をコントロールすることにより、バンド全体の響きをよりよいものに作っていく。
つまり、いい管楽器奏者は、自分一人の音だけでトーンを完結させない。
必ず、ピアノ、ベース、ドラムの響きとの重なり合わせの上での、全体としてのトーンコントロールをしている。

さて、そこまでできると今度は何が出来てくるのかというと、管楽器奏者は、ソロをとりながら、伴奏をすることができるようになる。
リズムセクションに、要求をすることが出来るようになってくる。
こういう音をくれ、こんなリズムがほしい、いや、もっとかなり具体的な話が生まれてくる。
意図的に開けたスペースに音を要求する。つまり、共演者に「やらせる」事が出来るようになる。
そうなると色んな意味合いにおいて、「楽」になってくる。


西洋音楽は合理主義的な音楽だ。合理主義とは何か?効率を稼ぐことだ。
効率を稼ぐという事はどういう事か?より少ない歩数と短いルートで、より高い山を登るという事だ。
無論その過程において、様々な意図的な寄り道があったりはする。そういう事ではない。
最短歩数で歩けて初めて、ヴァリエーションルートが意味のあるものとなる。


さて、橋爪は僕に実に様々な要求を突き付けてくる。僕は要求通りに弾いているだけ。実に楽でいい。

そして、実はフロントプレイヤーに対して、僕(リズムセクション)の方からも要求をしている。一流のフロントプレイヤーはその要求通りに吹く。だから、僕とやっていたら、楽なはずだ。僕の要求通りに吹いていればいいだけだから。
そのような連鎖を、フロントとリズムセクションは作っていやっている。だから、楽なんだ。
いわばケアとサジェストの話に通じる話です。



僕のトリオにおいては、僕がフロントです。僕は中村新太郎と大村亘のいう通りに弾いているだけ。本当に楽でいい。でなければ長いツアーを続けることは技術的にも体力的にも困難になってくる。


ただ、一流のプレイヤー同士の要求は、速度も速く、数も多い。
また、一つ一つの要求も重要なものなので、一つでも受けそこねると、音楽全体の基盤が崩れる、等という事も起こりうる。
綾戸が投げてきた玉を僕が受け損ねたことがあった。そうすると、受け損ねたという事実を受けて、そこから新しい音楽が始まる。


残念ながらフロントプレイヤーの権限を曲解しているプレイヤーは日本のトップのジャズシーンにおいても数多く見られます。
ただでかい音で早いパッセージを羅列して、音楽がどのように温まっていくか、等という事にはお構いなし。リズムセクションはこのように伴奏しておればそれでいいのだ、俺のいう事を聞いていればいいのだ、的な自分勝手な奏者がほとんどだ。


僕が共演を望むプレイヤーは違う。

杉本まさのりは、あるスタンダードの2度目のAのメロディーをオクターブ下げて吹いた。僕はそれに呼応してヴォイシングの幅を変えた。杉本はその事に気付いた。

橋爪に至っては、僕がある瞬間のサスティーンペダルを一瞬踏み外したことに気付いた。

助川は僕にある要求をしてきた。その要求の音を出したら、その要求の音の裏をかいて別の事をした。
つまり僕にあることをやらせて、別の展開への足がかりにした。そのやり取りの速度といったら!!

石川広行は僕の要求の速度と情報量に気付いた。そして彼のハイスペックな能力は、その全てに対応して、逆に音楽全体が散漫になってしまったのではないか?と彼は自省していた。

上記するようなやり取りが出来、理解できるプレイヤーとしか僕はやりたくない。


禅問答のようになるが、フロントプレイヤーは伴奏されたら駄目だし、リズムセクションは伴奏したら駄目なのだ。

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  1. 2017/04/29(土) 16:56:38|
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