中村の考え

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間違いを学習すること

楽器を習得する上に於いて、練習は不可欠なのだけれども、その秘訣の一つとして、間違えず練習するというのがある。
間違えずに練習する?間違えるから練習するのではないか?確かにそう思うだろう。
だけど、人間は、間違いも学習してしまうものなのだ。故に、なるべく間違えないように丁寧に練習するのが望ましいのだ。
ゆっくりと、ゆっくりと。


間違いを学習するというのは、もっと長いスパンにおいても言えることだ。
一つの敗北体験は、その敗北を学習してしまう。
敗北とは、何かに挑んだ結果、それを成しえなかったことではない。
何かに、挑むことを避けたり、諦めたりすることなのだ。

色んな人々が僕に挑んできた。
そして、何らかの結果を得て去って行った。
伊藤大輔は、その最たるものだろう。

だが、挑んだものの、何も得ることをなく去って行った人もたくさんいる。
一つの覚悟を貫徹しなかったことは、その人の敗北体験を学習する。


最近、僕の元を去った人がいる。その人は、もともと頑迷な人で、僕のアドバイスを全く受け付けなかった。おそらく本人は、受け付けていないことに気付いてすらいないと思う。それぐらい頑迷な人だった。

僕は、自分の確信した言葉、本当に思っていることだけをその人に伝え続けた。
彼女にとっては相当耳が痛かったことと思う。
僕の言葉を拒絶し、言い訳に次ぐ言い訳をしていた。自己正当化に次ぐ自己正当化をしていた。だが、それらを自分の信念であると勘違いしていた。いくら僕の言葉でも、自分の信念から外れた言葉を聞かなくてもいい、そう思っていた。
悪いのは真さんのほうだ。そう思っていたと思うし、実際にそう言われたこともあった。

だが、それでも僕は、自分の確信した言葉、本当に思っていることだけをその人に伝え続けた。
その人が、変わることを信じて、その人が僕と共演したい、より高きを目指したいという想いが、本当の気持であることと信じて、僕は接し続けた。
ついに最後まで、その人は僕の言葉を受け止めることができなかった。そして、最終的には、私のピアニストは中村さんでなくてもいい、そう思って僕のもとを去った。

伊藤大輔が僕とやらなくなったことと、その人が、僕の元を去ったこととは、大きな違いがある。
大輔は、僕にチャレンジした。その人は、チャレンジしなかった。
無論、才能の差は大きい。だが、本当の意味での才能とは、挑戦し続けることなのだ。

その人は、たくさんの敗北体験を学習し続けてきた人だ。ただ本人はその事に気付いていない。
いま別のピアニストと活動しているようだ。だが結果としては同じ事だろう。または、そのピアニストが不誠実な人ならば、本当の事をその人に伝えることなく、居心地のよいように演奏させてもらって、それでよしとするだろう。

本当の事を言ってくれる人は貴重だ。
僕は自分がだれに対しても誠実である、という事だけは自信を持って言える。
言いかえれば、僕は自分に対して誠実であるという事にだけは自信を持っている。

ちなみに、僕は、その人と共演することをもうやめたら?と何度も幾人にも言われた。
僕自身も心が挫けそうになったこともあった。だが、僕はその人の元を去らなかった。
あきらめるのは簡単だ。だが、諦めずにその人に「挑み続ける」事が、僕の生き方なのだ。
無論、万人が僕のピアノに挑まなければならないというわけではない。
だが、その人は、僕のピアノに憧れて、より高い音楽の道を歩もうと、僕に近づいてきた。しかし、その想いを貫徹させることができなかった。その事こそが重要なのだ。

その人はまた一つ敗北体験を積んだのです。また一つ、間違いを学習したのです。
僕はもうその人の事を見捨てました。

上記した事は、音楽の話のみに非ず。人生すべてにおいて言えることである。

次はだれが僕に挑んでくるのか?そして、想いを貫徹させることができるのか??

どんな人が来ようが、僕は誠実に接する。それが僕の生き様だ。


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  1. 2017/05/20(土) 13:16:40|
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