FC2ブログ

中村の考え

我儘

少し誤解を与える文章であるかもしれない。

自分の人生を振り返ってみて、20代はがむしゃらに音楽に取り組んだだけの10年だった。
30台を振り返ってみる。30代は、ただひたすら、出る杭が打たれた10年だったように思う。

30台に僕は何をしたのか?上京し、キムサクを世に出し、キムサクは解散し、ソロの活動を本格化させ、自転車ツアーに着意し、実行した。トリオを結成し、ミュージックキャンプを始め、にはたづみプロジェクトを発足させた。
その都度、僕は人の助けを借りてそれらを実行してきた。だが同時に、色々な人たちが、あの手この手を使い、僕の進もうとする道を阻み続けてきた。
道を阻もうとする人は、実は敵であるだけではない。
むしろ味方が自分の道を阻み続けるのだ。
親切に言ってくれること、親切から助言くれることのすべてに耳を傾けていたら、自らが信じる道を進み続けることはできない。

田中幹也さんという人がいる。彼は冒険家という言葉を使われるのは嫌がる。
僕は彼の講演を聞きに行ったことがある。その中での彼の言葉で最も印象に残った言葉。
最終的に人の意見は絶対に聞かない。という言葉。
僕は、ある種の「高み」を目指す者に、必要不可欠な、我儘、を感じた。

僕は、振り返るといろんな人々の意見を聞き入れてきたが、しかし最後の最後で僕は人の意見を聞かなかったと思う。
やりたいことをやり通してきたと思う。

上京したての頃の僕を取り巻く音楽環境。夢と希望をもって上京した僕のそれらを挫く。
色んな先輩ミュージシャンや業界人のアドバイスというか、たしなめというかをもし聞き続けていたとしたら?
自転車の旅をやろうと思うと相談したときに色んな人々に反対された。何の意味があるの?と。
もしその意見を聞いていたら?

人によって人生で登ろうと思っている山は異なる。
あるものは秩父で満足するが、あるものはエベレストを目指す。
秩父でいいと思っている志の低い先輩や、秩父ぐらいで安全に山登りを楽しんでほしいと思っている身内にとって、エベレストを目指す僕の行動は無謀に思えた事だろう。

小さなところで予定調和的なバランスの中で演奏している諸先輩方のツアー中に、僕一人が真剣に音楽に向き合い、しかしそれはチームの予定調和は乱すものだった。
お前の演奏はチームの調和を乱すとツアー中に何度も言われたが、僕は聞く耳を持たず、最終日のミーティングで、リーダーに、真面目に吹け、と言い残しバンドを脱退した。
もしこのバンドを続けていたとしたら?彼らの演奏に調和していたとしたら?
あんな音を出すプレイヤーになっていたかもしれない。


人の意見を聞き入れてはいけない、といっているのではない。
誰でも、他人から育まれるし、他人に助けられる。他人にたしなめられるし、自分が間違っていることもむろん多々ある。

が、自分が確信している、やりたいこと、価値、に関しては、絶対に人の意見を聞いてはいけない。

僕の進んできた道は誰も進んだことのない茨の道でした。
道のない道を進む僕を、あざ笑っていた先輩達、心配していた身内、あの手この手でその進むべき道を翻意することを勧められた。親切に、味方のふりをして、間違っていると断定され、甘い道に誘導する誘惑、そして自らの楽をしたいと思う気持ち、様々な要素が僕の進むべき道を阻んだ。

だが、僕は進み続けた。今思えば、である。当時は進んでいるのかどうかもわからなかった。また当時僕が我儘にふるまっていることに気付いてすらなかったと思う。
でも進み続けた結果、ふと振り返ると僕の歩んでいる道の後ろを歩む者がいる。
ふと気づけば、僕を後ろから押してくれる仲間がいる。
僕の切り開いた道を舗装してくれる者もいる。

頑迷という資質は、しばしば悪い意味合いにおいて使われるが、受動的な意味合いにおいて頑迷であってはいけないが、能動的には頑迷であることは、何かを成すものにとっては、必要な資質なのだ。


スポンサーサイト



  1. 2018/12/04(火) 11:32:22|
  2. 全般
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0