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中村の考え

世の中をほんの少し良くするために

世の中をほんの少しだけ良くするために。
アーティストのする仕事は、この世界における様々な事柄、いいことや美しいものに触れることだけでなく、この世の矛盾や怒りを受難し、そしてそれを美に再構築し、世界に訴えていくことだと思っている。
無論僕たちアーティストは、物事を感じ取る力や、それらを再構築する力、そして物事の本質を見る目や、そして、自分たちの未来に対する考え方や哲学を、多くの市井の人々に比べると、はるかに進歩的な考えや哲学を持っていて当然だ。
そしてそれらの考え方は、ある意味において、現世の社会において、反社会性をも含む場合もあり得る。
その上で、僕は話を進めていく。
アーティストは社会と乖離したところに存在しているわけではない。
浮世離れしたように感じるアーティストは、しかしその社会の中に存在しているし、社会の中に自らの作品であったり哲学を、認知させ、周知させていく仕事も、アーティストの仕事であると、僕は考えている。その評価の規模は問題ではない。その評価の規模が重要であると思われている場合も多い。資本主義の世の中では特にだ。が、評価の規模はアーティストの仕事の結果として、他者から受動的にもたらされるものであり、それは事の本質ではない。
アーティストは、能動的に、自分の作り出すものを周知させる義務があると思う。
僕が主催するアートプロジェクトである、にはたづみプロジェクトは、大きく分けて三つの根幹となる主張がある。
1 アーティストの活動保証のあり方の提案
2 多ジャンルによる21世紀の新しい芸術活動に対する模索
3 芸術に、やる人、触れる人、やる場所を自分たちの手により再構築する
という三つの中の、根底に流れる概念は、贈与主義です。精神主義と置き換えてもいい。
精神主義というと、スピリチュアル系の怪しげな事柄に見えかねないが、そうではない。
僕は、22世紀の歴史家は、21世紀のことを、資本主義が精神主義へと取って代わった時代である、と評すると思っている。
お金は生きていく上において勿論必要だ。
だが、お金それ自体に価値があるわけではない。あれはただの紙きれでしかない。
では何に価値があるのかというと、物に価値がある。
僕に取って必要なものは、ピアノであり、調理器具であり、鍬であり、鎌であり、剪定ばさみであり、ladderであり、食料である。
またはサービスに価値がある。週に一度か2週間に一度ぐらいは、桂馬でやきとりをしがみながら焼酎をあおりたい。たまには蔵の湯に行ってサウナで汗を流したい。
資本主義の概念は、富の蓄積という概念を生んでいる。
金は自分にとって価値のあるものと変換して初めて生きるものだ。
使いきれなほどの金銭を蓄え、資本を増やし、金を増やすための社会システムを構築し、そして不必要な消費を促す社会システムを意図的に構築し、そしてそれは普遍的な価値があり、金を増やすことはmustなのだという、わかりやすく言えば洗脳が、この世の中の現時点での価値観となっている。
資本主義は終わりに近づいている。
その理由や証拠についてはここでは語らない。
資本主義が終わった後に訪れる社会は贈与によって成り立っている社会となる。
贈与はすでに始まっている。ただし、それは資本主義的な概念が生み出した贈与だ。
身の回りにあるもので、無料のものは数多い。完全に無料ではないにせよ、価格の価値が変わってきているものは多い。
グーグルのサービスや、youthbeをタダで見ることができる。
Amazonで買い物をすると、翌日には日本全国どんな僻地でも送料無料で届く。Jetstarに乗れば、沖縄まで往復1万そこらで行くことができる。
しかしこれらは、あくまで資本主義の概念が生み出した見せかけの贈与に過ぎない。
世の中の進歩は、「好むと好まざるとにかかわらず」行われる。
1945年にアメリカが広島と長崎で行なったホロコーストは、人類の禁忌となっていることは、好むと好まざるとに関わらず、人類が進歩していることの証といえる。
無論、戦争は無くなってはいないのだが。
にはたづみプロジェクトでは、その見せかけの贈与を、本当の意味での贈与にシフトしていこうと考え、行動しています。
さて、僕は何よりも重要な贈与は、知性であると考えている。
知性とは知識ではない。その二つは似ているが違う。
知性とは、知識の使い方である。
例えば、戦争を起こす人間は、勉強ができて頭がいいし知識も豊富だろう。が、その人たちは知性に乏しいと言える。だから、金に価値がないという、たったそれだけのところに、思考が到達せず、金のために人々を殺すのだ。
我々アーティストは、時代に先進した知性と哲学を持っている。
その知性を贈与していくのだ。
AIR SPLASHでは、先進したアーティストたちが集い、そしてその知性を金銭的な価値以外の価値観で贈与していく。
AIRの中では、勿論芸術に特化した知性の伝達が主だ。が、AIR SPLASHも小さな社会だ。その中で行われていることは、この社会の縮図と言える。
僕は、AIR SPLASH に、小さな理想的な社会を作っているのだ。
僕はAIR SPLASHで最も重要なテーマとして「主体性」を掲げる。
AIRは僕のものではない。ゲストアーティストのものでもない。
参加アーティスト全ての人々のものであり、それらを創作すること、その創作に主体的に関与することが最も重要なことなのだ。
そのためには思考が必要となる。与えられたことをこなすのではない。自分から何かを与えていくことも必要となる。
与えられたご飯を食べ、与えられた知識に触れ、与えられたベッドで寝て、与えられたライブハウスで演奏をする。そうではなく、それらすべてを自らの手で創作していこうとする意識を育みたいのだ。
贈与主義とは与えられることではない。与えることなのだ。
与え合うことなのだ。
為政者がいて被支配者がいる。
縄文時代以降、富の概念が生まれて以来、支配被支配の構造が崩れたことはない。
フランス革命で王朝が倒れて民主主義が生まれたとしても、それは新たなる対立構造を生んだ。
社会主義という概念は、完全なる平等を生むはずであったが、実際には官僚や政治家や軍人による支配構造からは逃れられなかった。
僕は、その対立構造を、被支配者の意識を改革することにより、被支配者である我々が知性を持つことによりのみ、人類の課題である支配被支配、搾取被搾取の構造から脱却できるのではないか、と考えているのだ。
知性は、各々の哲学を生み出す。
それらが統一した見解を持つことが理想なのではない。
多くの市井の人々が「考えられてない」ということに「気づく」ことがまず重要だと考えている。
多くの市井の人々は、与えられ、思考を奪われている。
自分が受動的な立場に置かされていることに、気づいてすらない。
少し物事が見えている人は、不平を述べる。不平を述べても始まらない。
不平を、述べさせられて、ガス抜きをさせられていることに、気づいてすらない。
政治に不満を述べてもし政治が変わったとしても、それはトップダウンによる変化に過ぎない。与えられた変化。
僕はそうではなく、与える。この社会に対して、何かを与える。
各自が与え合うこと、それは、AIRに対して主体的に考えて参加することに他ならない。
そして、その贈与がAIRを飛び出して、この世界全体に少しずつでも広がっていけば。
たったAIRの中ですら、いや、その運営委員会の中ですら、僕のこの理念が完全に伝わっているとは言い難い。
AIR SPLASHは、多くの人々の金銭や労働の贈与によって成り立っている。そしてそれにより僕たちは知性を贈与することができる。
そして知性を贈与された人々は、その知性をまた誰かに与える。
そしてその理念に感銘を受けた人々が、金銭や労働の贈与をAIRにもたらしてくれる。
その理念の伝播も、好むと好まざるとに関わらず、広がっている。
この世の中を劇的に変えることは僕にはできないだろう。が、僕のやっていることは、この世の中を、ほんの少しだけ変えてくれる可能性があり、少なくともその方向へ向けて進んでいるだろう。
それを信じて、僕は自分の進むべき道を進んでいる。
僕の通ってきた道は茨の道だった。だが、今はその道を共に歩む仲間がたくさんいる。
それこそが僕にとっての何よりの財産なのだ。
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  1. 2019/10/04(金) 12:53:50|
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