中村の考え

僕にとってのブルースとは

ジャズという黒人の民族音楽が、西洋の音楽の方法論との融合により、数学的な発展を遂げたことは周知の事実であります。

音楽には2種類あり、文学的に形成される音楽、数学的に発展を遂げる音楽の2種類です。
この区分は勿論、例え話で、僕による創作の区分です。

紫式部と、夏目漱石の文学は、どちらの文学が優れているというものではありません。いわば、一子相伝です。
しかし、ニュートンとアインシュタインとでは、どちらが発展した論理を展開しているかは自明の理です。
どちらの人間が優れていたということではありません。
数学の世界では、ニュートンの功績に、次の世代の数学者はその功績を積み重ねることが出来るのです。

音楽には、前者の音楽、例えばうちの父親がやっているような邦楽、雅楽、津軽三味線などの民謡、それ以外にも世界中の民族音楽は一子相伝の音楽といっても過言ではないでしょう。
いや、もちろん進化はするのでしょうが、それは簡単に前出者の功績に積み重ねてどうぞ、というものではありません。

それに引き換えクラシック音楽、(以下西洋音楽と称す)西洋音楽は、過去の作曲家の功績に次の世代の作曲家はその功績を積み重ねることが出来ます。
バッハの対位法や、ベートーベンの和声を後世の学習者たちは学ぶことによってその体系を知ることが出来るのはこのためです。
まさにこのことが理論を学習する意味でもあるのですが(過去日記参照)、さておき、そうやってどんどんロマン派の作曲家は和声的に進歩を遂げ、そしてドビュッシーはその機能和声を破壊することに成功したのでした。

まあ音楽史には、大阪音大作曲科一出来の悪い生徒であった僕は詳しくはありませんので、友人の作曲家近藤浩平さんのウェブサイトでも参照していただくとして(僕のリンクのぺーじからリンクしてございます。音楽を志す方、いやジャズミュージシャンのプロの方でも一度ご覧になってください。きっと楽しめます。なんせ、ホルストについて3時間話せる人です。ホルスト、惑星、平原綾香、以上、ですよね、普通の人は。)、ジャズミュージックはこのような体系と出会うことによって数学的発展を遂げたのでした。

しかしながら、発展の途上において、ブルースという概念の無くなったジャズも多く見られます。

僕はブルースの欠落した音楽に魅力を感じることが出来ません。

さて、現在ではジャズ界に限らず、西洋音楽の世界でも、価値観の多様化がなされているように思います。

例えば、eweから発売されている音楽には、ジャズというカテゴリーの範疇から外れているように思える音楽もたくさんあります。
かくいう僕のアルバムも、参加アルバムはともかくとして、ソロのプロジェクト、キムサク、いずれもジャズですかこれは?というような音楽です。
vol.2スタンダードは別ですが。

海外の物でも聞いたことも無いようなアーティストの新譜「には」、面白い物も数多くあります。
最近知り合った物では、ジョンビーズリーのトリオのアルバム、これなんかかなり面白い。
後、ピーターエプスタインという若者のアルバムも、なかなか楽しかった。

彼らの音楽の中には、いわゆるところの狭義でのブルース、という物は存在しません。
しかしながら、彼らの、彼らにしかない語り口というものを聞き取ることが出来ます。

さてブルースとは何ぞや。

僕は黒人ではありません。しかし黒人音楽が好きです。
サラヴォーン、オスカーピーターソン、カーメンマクレー、マイルスデイビス、ジョンコルトレーン。
列挙していけばきりがないのでやめますが、数多くの黒人の音楽に「やられて」この世界に足を踏み入れました。
(僕は、意外に思われるかたも多いかもしれませんが、家ではほとんどハードバップかジャズボーカルしか聞きません。)
黒人の音楽にはブルースがあるから。
ブルースとは音楽の形式をさす用語でもありますが、その魂のことでもあると思います。
そして、その語り口のことだと思うのです。

僕は僕のブルースを探す旅に出ることにしました。

僕は、自分には黒人のブルースを、模倣して、踏襲して、消化することが僕の生きる道ではないということを、10代の頃から予感していました。

僕は、僕にとってのブルースを探すのだ。

多くの民族音楽には共通点があります。ヨナヌキといわれる5音音階。
それと、平均率では割り切れない、ドとレの間の音。(これも比喩的表現ね。ドとレの間の音はドの♯ですから。それぐらいは僕でもわかります。)

ジャズの西洋音楽化において、忘れ去られているかのような、ドとレの間の音。

僕は、「根ざして」いない物に魅力を感じない。
「根ざして」いることが、すなわちブルースであるかもしれない。

僕は日本人であるということを、僕のブルースに据えて自分のジャズを作っていきたい。
自らの語り口を探すのだ。
僕にとっての、ドとレの間の音。ピアノではどうしても出ないその音を探す旅。

それが、僕の自転車での旅のモチーフでもあるのです。

そんなことをしなくても日本を知ることは出来るかもしれない。

しかし、何を持って知ったことになるかは、誰にもわからないです。

僕には僕のやり方があります。

皆さんには皆さんのやり方があるはずです。
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  1. 2006/04/14(金) 03:05:58|
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