中村の考え

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緊張と緩和~山型を意識する

時々、僕のトリオやソロの演奏で、ソロが終わっても拍手が無いのはよくあるけれども、曲が終わっても拍手が無い事があります。
大体において、会心の出来、の演奏の後に多いです。
拍手出来ない事は時として最高の賛辞だと僕は思ってます。

それはともかく、緊張と緩和の織りなすストーリーには色んな形があります。
無限の可能性があります。
緊張と緩和で作りだすラインを山に例えると、ごくごく普通の登り始めて最後にピークが来るような山もあれば、最初に上り詰めて、そして徐々に降りてくるような山もあるでしょう。
また、音量で緊張感を表現するのではなく、むしろ一切の山を無くしたことによる不思議な緊張感、また、始まったところよりもさらにリラックスした状態に持っていく、等それこそ色々な形の山を描く事が出来ます。
フレーズを羅列する事しか出来ない三流のミュージシャンの話はともかくとして、そのひとつ上の二流のミュージシャンは、作り出す山の形がいつも一緒です。
大体において登り始めて最後にピークを持ってくる山しか描く事が出来ません。
ある意味その山の形は、基本形かもしれませんが、下世話ないい方をすれば、この山の形が一番聴衆から拍手を貰いやすい山の形なのです。

勿論、僕も自然にこの形の山を描く事はあります。
しかし、この山の形に音楽を当てはめようとするのは非常に問題があります。
音楽とは、緊張と緩和の連続であり、それに逆らわず如何に自然に演奏するか、という事につきます。
たとえソロでやっていたとしても、自分の出した音の行き着く先、というものは存在します。
それに逆らって演奏してはいけないんです。
出した音は緊張を生み出すが、その音は自然にある行き着く先に帰着するのです。
これは、空間に放り出された物体が自然に地面に落下するのと非常に似ています。
そういった事を意識して創作される音楽は、非常に玄妙なる味わいを持ちます。

このように僕は音の引力を見ながら演奏しているのですが、それを無視して既成の緊張と緩和の山型に当てはめる音楽家と一緒に共演するのは、表面的には盛り上がって楽しげですが、僕は非常に退屈です。

聴衆も、とりあえず盛り上がったら楽しい、という聞き方ではなく、このアーティストはどのような山型を作るんだろうか?というような観点から音楽を聴いてみて下さい。
きっと違った楽しみ方が出来ると思います。
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  1. 2006/09/05(火) 17:36:53|
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