中村の考え

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感受性について 

1)感受性について。

音楽、その他の芸術を見聞きし、楽しむ為に知識は必要ありません。 必要なのは感受性です。 では感受性とは何か? 美しいものを美しいと感じれる能力の事です。 または、美しいものを見て、何かを感じ取る能力の事です。
美しい音楽を聞いて美しいと思えない人は音楽を聞く能力はありません。あたりまえの話ですが、そういう人たちは音楽を聞きたいと思わないでしょうし。
感受性の高い人たちは、美しいものを見たり聞いたりした時に、ガツン!!と衝撃を受けるのです。 涙する人たちもいるでしょうし、何か行動したいと思う人もいるでしょうね。
僕は、少なくとも僕の音楽を聞いて感心してくれる人たちは、感受性の高い人たちであると思っています。 少なくとも巷溢れる下らない、感動とは無縁の商業音楽では飽き足らないお口の肥えたリスナーであると思っています。
僕の音楽は普通レベルの感受性の人たちには、良いと思えないか、ちょっとto muchに感じられてしまうのではないかと思います。
巷溢れる音楽の多くは、差し障りのない範囲で「ちょっとだけ」表現しているか、もしくは表現よりもスタイリッシュである事に重きをおいているものもたくさんあるように思います。 残念ながらジャズミュージックのような、本来的にソウルフルであるはずの音楽においてもそういう傾向があるように思います。
僕の音楽はそういったものと無縁ですから。

ただし、音楽を深く理解する為には知識が必要になってくる場合があります。 音楽といえども芸術です。即興音楽といえども構造がありますし方法論があります。
それらを理解したほうが音楽をより楽しむ事ができるとも思えます。
その際の知識、というのは音楽理論であったり、音楽経験であったりするかもしれませんが、感受性のすぐれたリスナーの皆様方には、聞く為の、自分なりの方法論を持ったら楽しいかもしれませんね。 平たくいうと自分なりの聞き方、ですね。
本質的に抽象的な表現方法を取る芸術である音楽は、発信者側の正確な意図を汲み取る事は殆ど不可能です。 又、発信者側も言語で表現出来るような正確な意図を持ったものを発信してはいません。少なくとも僕は。
余談ですが、故に僕は自分のオリジナルに表題をつけるのを苦手としています。
仮に、あくまで仮にですが、僕が即興演奏において「小川」を表現したとしましょう。 それを受信者側が大河を感じたとしてもそれは正解です。なんならロッククライミングを感じたとしても発信者側は文句を言えないでしょうね。
しかしそれでも言語に置き換えて聞いてみても良いだろうし、(今日の演奏からベトナムの市場の雑然とした雰囲気を感じました。とか)もっと単純に演奏者の情念に実をゆだねてみてもいいだろうし、自分の中でのその流れとの対比を楽しむのもよいでしょう。
そういう、聞き方の方法論を自分なりに見つけて楽しんで頂けたらと思います。

ある日のソロピアノのライブで、小雪(僕のオリジナル)を主題としたインプロビゼーションをやったのですが、その最中にインプロのストーリー性をあえて不連続にした瞬間があったのです。 つまり、前後のつじつまをあえて合わさなかったのです。
これは僕の中でのインプロビゼーションの方法論の一つで、インプロといえども予定調和に終わる事もありますし、そいつをさける為にあえて不連続にしたり、また、つじつまがあわない瞬間が美しいという美意識もあります。
例えていうなら、陶芸家が茶わんの底をわざと欠けさせたりするのと似ているように思います。 その事を、一般のお客さんにライブが終わった後に指摘された事がありました。 とても嬉しかったです。

つまり、音楽は感受性だけで100%感じ取れるものではあるのですが、芸術家によってこらされた細かい工夫を知ればもっと楽しむ事ができるということです。
大抵の芸術家は、他人には解らないような小さいディティールにこだわりを持っていたりするものですし。 勿論、欠けた茶わんの底が、その茶わんの本質である訳ではありませんが。
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  1. 2006/03/02(木) 00:44:22|
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