中村の考え

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おおらかである事、ハッピーである事

ハッピーである事、おおらかである事

ジャズミュージックを演奏する上において、最も重要な事、それは、おおらかでいる事、ハッピーでいる事。

おおらかな事を表現すること、ハッピーな事を表現する事、が大事なのではない。

どんなに難しい事を、前衛的な事を、複雑な事を、神秘的な事を、メカニカルな事を演奏していたとしても、おおらかな心、ハッピーでいる事、を忘れなければ、人には伝わる。


逆に、どんなにおおらかな事を、ハッピーな事を、古典的で既出の事を、シンプルな事を、身近な感性の事を、演奏したとしても、心がおおらかでなければ、ハッピーでなければ、その演奏が人に伝わる事は難しい。

ルイアームストロングや、エラフィッツジェラルド、チャーリーパーカー、ビリーホリデー、挙げていけばきりがない。
彼らの、どれほどシリアスな演奏を聞いても、僕には、おおらかで、ハッピーな音楽に聞こえる、
言い換えれば「外向きな」エナジーを感じる。

ジャズミュージックに限らないと思う。

表現が、おおらかさを失ったとしたら、それは非常に内向きになる。

かくいう僕自身、その事に気付いたのは最近の話だ。

今までの僕は、自分の演奏の正当性や、表現のデリカシーや、繊細さ、美しさ、を「訴えかけて」いたと思う。

だけど僕は、訴えること、と、おおらかに発していく事、の違いを知った。

つい最近の話である。

おおらかで居る事=軽薄である事、ではない。

だが、はっきりいう。

おおらかであること、が重要である事を知っているミュージシャンは割と居る。

だけど、それと、軽薄である事、の区別がついてない人がほとんどだ。

そういうミュージシャンは、「まああまあである」、という事を、おおらかであることと勘違いしている。

僕のいう「おおらかさ」は、「表現された事」を表す言葉ではない。
表現の「プロセス」が、「おおらか」でなければならないのだ。

そのことを知らないで、表現が「おおらか?」になっちゃってる人は数多い。


まあまあの演奏、の次にめっちゃ凄い演奏、という次元があって、僕は今まで、「他のミュージシャンと一線を画す」めっちゃ凄い演奏を目指して来た。

正直に言う。僕は今まで「他のミュージシャンと一線を画そうとして」来た。

僕は、孤高の道を目指して来た。

だが、めっちゃ凄い、を目指しているようではまだまだなんだという事に、最近気付いた。

めっちゃ凄い、の上に「普通にええ」というのが存在するのだ。
僕は旅を続ける事=日常である、ということは体では理解していたが、それが自分の音楽に、真の意味でリンクするようになったのは、ここ最近の話だ。

僕は、自分のシリアスな、前衛的な、複雑な、神秘的な、メカニカルな?(僕は自分の演奏をメカニカルだと思った事は一度もないが、たまにそう思われる事がある)自分の演奏を、しかし訴えかけるのではなく、ハッピーに表現していく、ということが、少しだけ出来るようになった。

それが、今、目指すところの「普通にいい」に繋がっていくんやいうことを、僕は知っている。
まだ出来てないけれども。

それが出来たら、ハンクジョーンズも近いねんけどね。
決して手の届かんところにあるもんや無いよ、ハンクジョーンズも。
ただ、あの宝石箱のようなタッチは、・・・ちょっと遠いけどね。

でも、俺には出来るよ。その気宇を失わなければ、ね。





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  1. 2007/06/22(金) 02:05:57|
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