中村の考え

音の理~バドミントンと音楽の関係

ジャズのアンサンブルというのは、バドミントンしてるようなもので、僕が打った羽を相手が打ち返して、というラリーが続く感じ。

バドミントンとジャズの違いは、相手をやっつけるためにあるのではなく、お互いのラリーで美しく表現していく。ラリーが一つの作品となるのだ。


バドミントンの羽が自然に落下するように、または打ち方によって落ち方の速度も変わるように、音にも行き着く先、というものがあるり、それを無視しないのが最低源のマナーで、いわば音楽の摂理だ。理論ではない。摂理。羽が引力に逆らえないのと一緒で、音楽もそれには逆らえない。


もし、音の行き着く先を変更したかったら、出した音に、これから出していく音に、いや、音楽全体のディレクションに別の力を与えなければならない。

ラリー上で、「ほう、そうくるか?」て意表をつく感じはあり。
すんごい際どいところに打って返してくるというスリルを味わったりとか。
羽根に変化を掛けてもいい。
高度なアンサンブルには、やはりそういうスリルを味わう、という側面があるだろう。

逆にハンクさんなんかは、普通に打ち合ってるだけで凄いことになってたりする。

でも悪い音楽とはは、「いや、まだラケットに羽当たってへんから」みたいな感じ。
当たってない羽打ったらあかん。
もしくは地面に落ちたのを打ち返したり、打った羽根が引力に逆らってどんどん飛んでいったり。

音は抽象の世界のものやからこれが平気で出来ちゃう。というか、むしろこういう不自然なアンサンブルをする人が非常に多い。

でもそれは美ではないし、自由な音楽の中で唯一やってはいけないこと。


羽が引力に従って落下してくるのは全世界共通の当たり前のこと。
音もそう。誰がリーダーのバンドだろうが、出た音には行き着く先があり、それを勝手に変更してはならない。
それこそが音の理なのだ。
中村新太郎さんは、僕がリーダーのバンドで演奏していても、僕が落ちた羽を打ち返したとして絶対に反応しない。
それでよし。反応されたらきもい。


ぼくは、共演者がどんな人だろうと、相手に、限りなくわかりやすい羽根を打ち返してあげる。
また、相手がどんなにひどい方向に羽根を打ち返して来ても、なんとか打ち返してあげる。
だけど、まだラケットに到達していない羽根を打ち返したり、地面に落ちたのに打ち返して来られたとしたら、僕は打ち返すことは出来ない。


この程度のことが共有共感出来る人が余りにも少なすぎるから、なかなかにして僕は孤独なんだけど。
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  1. 2007/10/12(金) 11:26:35|
  2. D
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