中村の考え

感性について

2)感性について。

さて今度は芸術家に必要なものは何かということです。

感受性が感じ取るのは何も美しいものだけではあるとは限りません。 イラクでひどい事が行われている事や、オウムの事件や阪神大震災、もっと身近な事でもいっぱいつらい事やしんどい事はあります。

僕にとっては赤羽駅での電車待ちやホームでの場所をわきまえない喫煙者の煙はとてもつらい事です。 自転車の旅を続ける理由も、美しい風景を楽しんだり、楽しいキャンプをする為だけではありません。 辛い上り坂を登ったり、もっと言うならトラックの幅よせから身を守ったり、排気ガスに苦しむ事、にも意味があったりするのです。

僕は、芸術家が世に起こる摩訶不思議ごとを受難するのも仕事だと思ってます。 そいつを芸術という形に昇華するのです。
しかしながら表現者たるには鋭い感受性を持ち合わせているのみ、では難しいです。 高い感性が必要なのです。

高い感性は残念ながらたくさんの人が持っているものではありません。 感受性のあまりに高い人たちの中には、表現者になろうとする人たちがいます。

巷に溢れるストリートミュージシャンや、今では紙に言葉を書いてそれを路上で表現している人もいます。 みな、感受性の優れた人たちで、表現したくてしたくて仕方がないから表現しているのでしょう。 もっと身近に、カラオケ屋で歌を歌うというのも「吐き出す」という意味で少しは近いもののようにも思います。
しかし、ほとんどの場合それが人を感心させる事はできません。

感性とは、感受性が感じ取った様々な情報を、指先(僕の場合は指先ですね)で、美しいものに変換させる魔術みたいなものです。
音楽を表現する上での、とてもデリケートなバランス感覚や、美意識、音色、イメージ。 感受性は受動的な能力ですが、感性は能動的な能力ですね。
これらは技術や音楽力(アンサンブル力)とは直接的に関係はありません。

感性は磨く事は出来ます。 感受性の所で書いた、様々なものを感受する、そしてその事に向き合う事によって磨く事が出来ます。 分かりやすくいえば、一日一日何を感じ、どう生きて行くか、といった事です。
別に立派に、清楚に、ストイックに生きろという訳ではありません。 むしろそうでは無い自分に向き合う事によって磨けると思います。

むしろ逆に、立派で清楚でストイックである事に、それを求めてはいけないように思います。 例えば、苦しいチャリ旅をしたから変わる、変わりたいから旅に出る、ではダメだと思うのです。 しかし、それを求めて旅をするとしても、又それも「一日」ではありますけど。

練習したから変われるものでもありません。 しかし、練習もその日一日なのです。

旅に出ても、変わらないのだ、という事を知れば、旅に出たら変わる事ができるのかも知れません。
練習しても、うまくならないのだ、という事を知れば、練習したらうまくなるのかも知れません。
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  1. 2006/03/02(木) 00:49:55|
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