中村の考え

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価値観の狭間

最近何となく過去を振り返ってみた。

20代の頃、僕は、こうでなければならないという自分の価値観にしたがって生きてた。
自らの価値観を刃に、様々な抵触するものをぶった切ってきた感がある。
30ぐらいから、すこーしずつそれが変わってきた。

変化は僕にはドラスティックに訪れることが多いのだが、このことは、しかしすこーしずつ変わってきたな。


今では、どちらでもない、というファジーな(言葉は古いが)価値観というか、感覚に変わってきた。
昔なら許せなかったことが許せるようにもなった。

例えば、不倫している人のことを昔は許せなかったけど、まあそういうこともあるだろうなと思えるようになった、とか。(例えですよ例え。別に昔から不倫ぐらいええやんと思ってたって、そっちかい!!)

若い人たちから価値観を聞くと、昔の僕のように、抵触する価値観を認めない、という感性の人たちがたくさんいる。
それはそれで良し。その時代があり、今の僕があると思うから。

しかし、最近ではむしろ、ある価値観と、その相反する価値観があり、その間に真理のようなものを感じる事すらある。というか、むしろそちらの方にこそ価値があるような気がするのだ。

このことは20代の頃から予感していた。
ジャズとは、相反する価値観を、高い次元で昇華する音楽だからだ。
例えば、ソフトで固い、とか、はやいけどゆったり、とか、優しいけど強くないとあかんとか、まあ言い出せばきりがない。

主体性を持って物事にあたることは大事だ。だがしかしそれでいて優しく取り組めたらなあ。

自分を見失わず、自分という明確なものを持って、しかし、異なる価値観を許す広さ、のような感じか。

僕は主体性はあるけど、あんまりまだ優しくはないなあ。

同業者(ピアニスト)に非常に厳しいし。

ある人、実名を挙げちゃうとラシェットのママ、とメールのやり取りをしていて、話の流れから、僕が様々なピアニストを批判していたら、その批判に対して、非常に優しく、僕のその価値を否定することなく、その人達の長所を述べられたことがある。

はっとした。

優しい女性です。ラシェットのママは。

拒否からは、次のステップには到達出来ないということやとおもう。
拒否しなければ、守れないような主体性であれば、大したもんやないんやろうな。

宮野お爺ちゃんとかを見ててもそんなことを感じることがある。カレーの風情はないからよろしくないけど。(わかる人にはわかるネタ)

徒然と書いたが、美は境界線上にある、と描いた劇作家がいたが、まさに言い得て妙である。
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  1. 2008/02/05(火) 17:56:45|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2
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コメント

それ、俺の座右の銘。
我以外皆師。
たまにサインにかく事もあります。
  1. 2008/12/12(金) 15:12:09 |
  2. URL |
  3. mako. #-
  4. [ 編集]

われ以外、みな、わが師
という言葉があります。

無限に吸収、成長できる考えだと私は思います。
  1. 2008/12/05(金) 11:25:39 |
  2. URL |
  3. maru #-
  4. [ 編集]

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