中村の考え

ぼくが演奏中にしている作業の解説

演奏する時のメンタリティーを整える。これはほんまに難しい事だ。
集中力は、緊張していては絶対に出ない。
リラックスする事は非常に大事なことだ。
どうやってリラックスするか、その方法を各自探らなくてはならない。
お客さんにのまれてはいけない。共演者にものまれてはいけない。
どうすればいいのか?それは各自探方法を探らなければならない。

最初の一音は肝心。
その一音が、音楽として動き出した時から始まるのだ。
自分が出す音に対して、勿論、方向性を考えながら音を放っていくのだが、だが出た音がひとりでに予期せぬ方向に動いていく事もある。その音の動きに忠実に音楽を作っていく。これはつまり、響きを吟味するということでもある。
この、予期せぬ動きに対する反応が即興感に繋がる。
ホロヴィッツが即興的に聞こえるのはそういう理由。


さて、音楽を演奏する上に於いて最も重要な事は、エモーションをコントロールする事である。
情熱の欠けた音楽は面白く無いが、それの発露のみの音楽もつまらない。
しかし、エモーションを一時的にコントロールから開放するのも又面白い。
一日の、一曲の、ほんの数秒だけ、コントロールから開放したりすることもある。

アンサンブルにおいて最も重要な事は、共演者の音を聞く事である。
聞き方には二種類ある。
視覚を例に説明するとわかりやすい。
あるものを見る。例えば、恋人の目を見ているとしよう。その時当然焦点の中央は目だ。だが、視界には他のものも入っている。彼女の唇やほっぺた、又背景にある様々なものも当然視野には入っている。
伴奏対象、もしくは自分が主役の時には自分の音を聴覚の視点にいれ、他の楽器を奏でる人を聴覚の視野に入れる。
伴奏対象が変われば、それを変えていく。
アンサンブルにおいては、共演者を否定しては絶対にいけない。この事を勘違いしている人が多い。
伴奏にも色々だ。
基本的に伴奏する事は、会話に於いて、話を聞く事と似ている。
相手の話を聞く姿勢。否定する事は、聞く事を放棄する事だ。これでは音楽は出来ない。
相づちを打つ。相づちを打ちすぎては行けない。相手に軽薄な印象を与える。うんうんうんうん、と何度もいう人が軽薄に見えるように。
基本的にそうやって会話に寄り添う。しかしある瞬間、相手がこちらに対して意見を求めてくる事がある。
そこがポイントになる。
基本的にその時に選択肢は3つ。
賛成、反対、その他。
賛成や反対にともない、より良くする為の提案を伴う事や、全く別の案を提示する事もある。
その他には、無視、ストーリーテラーを交代したり、会話の中身を別のものにしたりする事もある。
実際の会話と酷似している。
アンサンブルにおいて反対意見を述べる事は頻繁にある。これこそがジャズは拒否の音楽であると勘違いされやすい所以だ。
拒否は誰にでも出来るが、反対意見は自立した成熟した大人にしか述べる事は出来ない。
また、更なる高度なアンサンブルにおいては、全く別の話を同時進行で行うこともある。
実際の会話ではそれは無理な事だ。音楽に於いての会話ではそれが可能なのだ。音楽に於いても難しい事だが。

音楽上のメッセージをメロディーのみに託す人がいる。それでは風景を乱す。
音楽のタッチにメッセージを託す事が出来るようになれば、どんどん風景は整頓されていく。メロディーはパレットに並んだ様々な色だとすると、タッチとはいわばその濃淡なのだ。
色んな色を使った絵が混沌として見えることや、水墨画が黒一色で色彩を想起させる事が出来るのと同じ事だ。
タッチにメッセージを託せるようになれば、音楽に参加する事の幅がどんどん立体的になってくる。そしてそれでも音楽が混沌とした時に待てるようになって来るのだ。
そうなるとしめたものだ。
ただ、タッチにメッセージを託す事はとても難しい。特にピアニストにとっては。

音楽に対して重要な事は、自己主張とエゴイズムの区別をつける事だ。
若いうちはそれが区別出来ない。かくいうぼくもそうだった。
自己主張と調和の昇華が何よりも大切である。
音楽には、配分の神様がいる。その人のさじ加減を無視しては成り立たないのだ。
神様のバランスのもとにのみ自己主張が許されるのだ。
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  1. 2009/01/08(木) 20:24:24|
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