中村の考え

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技術とは

1)技術とは。

練習しても上手くならない事を知れ、とはどういう意味か?
それは、技術とは手段である、という事を知れ、という事です。
ミュージシャンや、それを目指す人の多くは、技術=音楽である、もしくは音楽を表現する事と技術的に困難な事を演奏する事=アーティスティックな情念の吐露、とはき違えている場合が往々にしてあります。

技術的に困難な事を演奏上で行うと、確かに自分の中にスリルが生じ、又、それに伴い気分も高揚しますが、それは音楽的な興奮や高揚とリンクしている場合は稀です。
あくまで、技術は自己表現の道具でしかないのです。それを知らずに技術を身につけても音楽とリンクする事はありません。

一時期のクラシックの世界では技術的に困難なコンチェルトを作曲する事が流行り、それを演奏する事により、ミュージシャンの演奏技術は飛躍的に上昇したのでしょうが、それに伴い、クラシックの世界では未だに技術史上主義のような傾向が続いているように思います。
バィオリンなんかでは時々、徹底的に訓練(練習とはあえて言わない)された15、6歳の子供が機械の様な演奏を繰り広げ、天才と宣われている事もあるみたいだが、全く笑止千万です。
最近はジャズ界でも「天才少年少女」ブームで困ったものです。クラシック界と違い、技術すら伴って無い場合が多いだけに目を覆うものもありますが・・・。

あるミュージシャンが言っていた話の又聞きなのですが、その人曰く、「技術とは、自分の演奏したい事が表現出来るだけあればいい。それ以上の技術はむしろ害がある」というような事でした。 全くその通りだと思います。
お金と技術は必要なだけあるのが一番いいのです。
人間、必要以上の技術があれば、よけいな色気が出て、出す必要の無い音まで出してしまうものなのです。 人間とはそういう生き物なのでしょうね。
だからこそ、自分が何を、どう表現したいか、というイメージを明確に持つ事が、結果的に必要な技術を獲得する事につながるのだと思います。
自分が何を表現したいのか?、ひいては自分は何者なのか?、 己を知る、に繋がっていく事なのです。

逆に、自分の中の感情の吐露が芸術である、技術とか、ジャズの伝統とかくそくらえ!俺は表現するのだ!! という人たちもいます。 特にインチキフリージャズ、フリーインプロバイザーに多いかと思われます。
技術の伴わない表現、というのは単なるまき散らしに過ぎないのです。 右翼の街宣車、もしくは暴走族の騒音と何ら変わる所はありません。
しかしそれでも時には感動を呼ぶ事もあります。 子供が書く絵が、時として新鮮な感性として感動を呼ぶ事があるのと同じです。
しかしそれはたまたまです。
幼稚な自己表現が偶発的に成立しただけです。


技術とは、自分の中にある、魂、情熱、感受され、蓄積された様々な想い、を、つつがなく表現する為に必要不可欠な道具なのです。 自分の心、と指先を繋ぐ、大事な大事な道具なのです。
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  1. 2006/03/02(木) 00:51:37|
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