中村の考え

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謙虚であるということ

謙虚であるということ。

謙虚であるということと、へりくだるということは全く違う。
謙虚であるということは、ありのままの自分を受け入れる、見つめる、ということである。
ぼくは世界一のピアニストになりたいと思っている。
こういう事をいうと、謙虚ではないと思う人が多い。
ぼくは、そう思わない人のほうが謙虚ではないと思っている。
少なくともホロヴィツもハンクジョーンズもぼくも、CDの値段はほぼ同じだ。
それを買って聞いてくれる人に対して、ぼくがその人達と同じ志を持っていないとすれば、それを買ってくれた人に対して謙虚である、といえるのか?



わたしなんかと、ぼくなんかと、という言葉を使う人がよくいる。
日本人の、礼儀としてのへりくだり、はわかる。
だが度を越すと自尊心を疑われる。
自尊心の無い者は、謙虚ではいれない。
ぼくは、世界一のピアニストになりたい、けどもちろんそうではない。であるから、そのことを受け入れ、自尊心を持つ者として、そのことに対し日々努力できるのだ。
その志があるからこそ、自分の出来ていない事に向き合えるのだ。
謙虚であるからこそ持てる向上心。
そして、本当に謙虚であれば、他人と自分を比較する事も無くなる。
そうなれば、余分な嫉妬心も当然無くなる。そして、虚勢を張るとも無くなる。
結局、虚心に音楽に向き合う事が出来る。
他人からの評価も気にならなくなる。
結果、社会的地位向上の為に音楽をやる事も、その必要もなくなる。

ありのままの自分を受け入れ、見つめるということは、己を知るということだ。
ぼく自身の話をする。
ぼくは本当の事、本当に思っていることしか話さない。
その純度にビビられる事も数多いが、その純度に共感されることも数多い。
ぼく自身が話す事が、幾多の人に影響を与えている事、ぼく自身の影響力は強い事も自覚している。
だから、ぼくは一生懸命訴えなくてもいいのだ、ということを知っている。
普通に話すだけで、僕の想いは十分伝わるのだ。20代のころぼくには解らなかった。
訴えたい事を強く、強烈に訴え続けて来た。
故に世の中との軋轢もあり、人を傷つける事もあった。
己の強い個性を知る事により、強く訴える必要が無い事に気付いた。
発信の仕方が変わると受信され方が変わる。そうすると、どんどん良い循環が生まれる。
己の個性は欠点たりえるのだ。
というよりも、資質に善し悪しは無い。
持てる資質をいかに魅力的に見せるか、なのだ。
例えば、ちょっと抜けた人は、言い換えればおおらかなのだ。
短気な人は決断力があるともいえるし、優しい人は八方美人ということにもなる、優柔不断は慎重な人、等々。
持てる資質は変えようがない。というより、変える必要は無いのだ。
自分自身の資質を知る事により、自分を魅力的な人間に魅せることが出来るのだ。
己を知るということは、己の魅力を知る、ということになるのだ。

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  1. 2009/07/05(日) 13:47:00|
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