中村の考え

ジャズを中心に、ピアノの技術についての考察

ジャズを中心に、ピアノの技術についての考察

たまにピアノの技術についての質問を受けることがある。
技術的にうまいという事はどういう事なのか?

ピアノという楽器と、他の楽器が大きく違うところは、音色をよくするための訓練というものが存在しないという点です。
他の楽器は、音色の品質向上に直接的につながるエチュードが存在する。
例えば、管楽器のロングトーン、打楽器のシングルストロークの練習、歌のボイストレーニング、弦楽器のボーイング、等。
それらの主目的は音の品質向上の為のものだけではないかもしれないが、直接的にそれと深く関わるだろう。

ところが、ピアノにおいて、あらゆる練習は、音色の品質向上には直接的に関わらない。

ピアノという楽器は、僕が弾こうが、ホロヴィッツが弾こうが、猫が弾こうが、10グラムの重しを鍵盤に乗せようが、単音においては、同じグラム数の圧で押さえたとしたら、理論上同じ音がなる楽器だからである。

ピアノという楽器は、発音部分である弦に接触している部分はハンマーであり、そのハンマーが弦を打弦する角度や位置は変える事が出来ないからだ。

ただし、二音目を出した瞬間にそのバリエーションは無数に広がり、その差異で音色の品質を生みだすことが出来る。
つまり、二音目からしか音色の違いを表現することの出来ない楽器なのだ。

しかし僕のピアノの音と、ホロヴィッツの音、僕の生徒レベルの人の出す音色は、全然違う音に聞こえるはずだ。

何故なのか??

ピアノの音色は、音楽的イメージ力によってのみ品質を向上することが出来るのだ。
そしてそれを裏付ける、総合的な技術力が要求される。
僕の調律師は、僕の音、特にピアニシモの音は、世界一流レベルのクラシックピアニストの音の品質のレベルだという。しかしその人たちと、僕が同じぐらいピアノの技術があるという訳ではない。
僕は僕の音色イメージを持っていて、それを体現するだけの総合的な技術力があるという事だ。

ある程度いい音を出すためには技術は必要だが、ピアノの音色は、ピアノの技術的な上手い下手とは、直接的には関係がない。
僕は正直に言うと、ピアノはそんなに上手くないです。


ジャズピアニストで誰が一番上手いか?そういう質問をたまにされる。まあそんな大した意味のある質問ではないのだけど、それにしても非常にこたえにくい質問だ。

馬鹿テクサックス奏者、馬鹿テクギタリスト、馬鹿テクドラマーなどはこの世に数多いるが、馬鹿テクピアニストというくくりをあまり聞かない。

あらゆるサックスの技術の粋を集めたジャズサックスプレイ、というものは実際に存在する。
しかし、あらゆる技術の粋を集めたジャズピアノプレイ、というのはあまり存在しない。というか僕は知らない。

ジャズピアノを演奏するために、ピアノ技術はそれほど必要ない。
解りやすくいうと、ジャズピアニストで最も技巧的な演奏をしているであろうアートテイタムの演奏の完全コピーをするよりも、ラフマニノフや、カプスーチンの曲を演奏するほうがはるかに困難だ。
キースジャレットの演奏の完全コピーをするだけならば、音大受験前の高校生でも容易く出来ると思う。

誤解のないように言っておくが、キースジャレットがその辺の高校生レベルの技術しかないといっているのではない。

ジャズピアノはそういう意味で、技巧的な音楽ではない。

だからその質問には答えにくいのだ。その人の本当の技巧が、表に現れずらいのだ。

僕自身がコピーをしていて最も困難であったのはバドパウエルだ。だけど、パウエルがジャズピアノ史上最も技術があるピアニストであるとは到底思えない。
彼は、元来サックスで考案されたビバップのイディオムを、そのままピアノに移行している。だから、運指に無理があるのだ。だから、パウエルフォロワーといわれるようなピアニストの演奏は、ワンクッション客観的な人間の思考を経ているので、明らかに合理的に改良されていて、弾き易い。
おそらくチャーリーパーカーの演奏よりも、彼の演奏をフォローしている人のコピーのほうが遥かにやりやすいはずだ。



さて、ピアノの技術とはどういう事を指すのだろうか?
ピアノの技術的困難は大きく分けて三つある。
各指の独立、指のストレッチ、親指の転回、この三つだ。

完全に各指が独立して動くことは、実はかなり困難なことだ。かなり用心深くその指だけを動かそうとしても、別の指の筋肉の助力を借りて動かしている、という事はよくある。

指のストレッチとはどういう事か?三度以上の開きを隣り合わせの指で行う事をストレッチという。
ハノンの一番、僕は大変に困難であると考えている。いきなり左手の5指と4指が三度のストレッチから始まる。これは難しい。本当にハノンの一番を、忠実に演奏しようと思えば、であるが。

親指は他の指と違う付き方をしている。一目瞭然だと思う。ゆえに黒鍵が存在する。その取り扱いが難しい事は説明するまでもない。スケールの時に、親指に転回するとき、そこに不必要なアクセントが付くことはピアニストなら誰しもがが経験したことだろう。そこと格闘しなかったピアニストはいないだろう。

僕の基礎的な練習は、この三つをクリアーするための自作のエチュードをやる。
僕のエチュードは、演奏するだけならば誰でも演奏できる。だけど、その練習方法を本当の意味で完璧に演奏しようとすると、途方もなく困難であることが分かるだろう。
あるベーシストが僕の単純なウォームアップを少し馬鹿にして真似して見せた。僕はそうではない、こういう力配分でそれを演奏しているんだと説明した。その人はその奏法では全く出来なかった。馬鹿にしたことをわびていた。まあ冗談の話だが。

ピアノの技術的な困難は、求める気になれば、表面的に如何にシンプルな事柄であったとしても、いくらでも求めることが出来るのだ。

ルドルフゼルキンは信じられないほど下手くそにCのメジャースケールを練習するらしい。それは、どこまで行ってもCのスケールに自身のテーマを求めることが出来るという証であろう。

比べるのもおこがましいが、僕の調律師曰く、僕ほどウォームアップの音が汚い人も珍しいという。
流暢にスケールを演奏することはすぐにでも出来る。だけど、そのスケールの中に、様々な技術的な要素を求めつつ練習すると、流暢に演奏することは出来ないはずだ。


ピアノとは技術の体系が限りなく単一な楽器ではないかな?と思う。
例えば、以前にもどこかに書いたが、イングヴェイマルムスティーンのギターの技術と、トニーニョオルタの技術、これは単純に比較できるものではないと思う。
ドラムもそうだろう。エドシグペンのドラムと、オマーハキムのドラム、トミーリーのドラムをどれがうまいのか、比較するのは困難だろう。
様々な楽器には、複数の技術体系が存在するように思う。
だけど、ピアノは、仮にホロヴィッツを技術的頂点として仮定するならば、そこからずーっと一直線上に技術力というものの高低が存在するように思う。
無論、音楽に現れる個性というものは千人千様だ。けど、技術という意味においては、ジャンル問わずあらゆるピアニストを比較することが出来るように思う。
先ほどいった話と矛盾するようだが、僕は、ジャズピアノを弾いているキースジャレットを聞いているだけでは、彼がどれほど「上手い」のかは、解らないという事だ。


それはピアノという楽器の持つ合理性、いい方を変えるならば、楽器としての完成度の高さ、更に言い方を変えると、機械性の占める割合の高さ、更に言うと、楽器演奏に占める、「人間」の割合の低さゆえに、そうなっているのではないかなと思う。
トランペットなどは楽器演奏に占める人間の割合は、8割ぐらいなのではないかな?
楽器は拡声器だ。
ピアニストは、ピアノという機械を操作するオペレーターのようなものだ。

色々書いた事をすべて否定するような事を最後に書く。

ピアノの音は、一音で絶対に他人と違う音を出すことが出来る。そういう技術は、本当はある。
でも、残念ながらそれを言葉で説明することは出来ない。






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  1. 2017/09/12(火) 00:50:45|
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