中村の考え

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脳みそ0%のすすめ

直感的に物事を捉えることは非常に大事である。アーティストに必要なのは、頭脳よりも何よりも直感力である。

とかく知識を得ると、人間は直感ではなく、脳みそで物事を捉えようとする。
私事でありますが、最近水彩画をはじめました。
とたんに美術鑑賞が直感的でなくなる。技法に目がいくようになるのです。
なまじの知識と経験は直感の邪魔になる。
では直感とは何ぞや?

将棋の世界の話をしましょう。むろん私はへぼ将棋なので、将棋の神髄を身を以て体験したことはございませんので、又聞きや文献によるお話です。
全てのボードゲームは、必勝法を探す旅、だといっても過言ではありません。
数学的に言えば、結論の存在するものなのだそうです。
オセロ等は必勝法が存在するそうです。多分、後手が必勝だったと思います。囲碁も先手有利です。だから、五目半のハンデを付けて打ちます。
ところが将棋に関しては未だ先手後手有利の結論すら出ていません。人間はおろか、力任せに計算するコンピューターですら、わからないのです。
将棋界最強の男、羽生善治が20代の頃、彼は他の棋士よりほんの少しだけ深いところまで読むことが出来ました。その読みの深さは本当に髪の毛一本分ぐらいのものだったそうです。
そして、その髪の毛一本の読みの深さで将棋界七冠王を達成しました。現在も4つのタイトルを保持している(はず)
ただ、脳みそは20代で衰えて来る。その後は経験による勘で指す要素も増えて来るそうです。
ひいては、読まない強さ、つまり直感力ですね。
しかしそれは、今までの膨大な読みの蓄積や、経験の集約からくる、直感、なのです。
適当ではない。


アーティストには3種類のタイプがある。
かしこ※に見えるかしこ、アホに見えるかしこ、アホに見えるアホ。
かしこに見えるアホはあんまり見たことないなあ、たまにお見かけしますが。

アホは、直感力で音楽を捉える。そして、絶えず新鮮にその場の音楽の局面を見ることが出来る。
ものを見ることにおいても、創作する局面においても、アホでいることは実は最高なのだ。
頭を使っているようではまだまだ。
ただ、究極の脳みそ0%星人になるには、大天才の人以外は膨大な思考と経験の積み重ねの先にあるのだ。
何やらと何やらは紙一重、まさにその通りなんだ。
勿論、僕はまだまだ脳みそを使っている。アホに見えるかしこの段階。

さあ皆さん、究極の脳みそ0%を目指そうではないか。

※かしことは、関西弁でいうところの賢者のこと。アホは関西以外では比較的きつい表現に捉えられがちがだ、バカよりはだいぶソフトな感覚で記しています。
  1. 2009/07/27(月) 13:26:53|
  2. A~D
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謙虚であるということ

謙虚であるということ。

謙虚であるということと、へりくだるということは全く違う。
謙虚であるということは、ありのままの自分を受け入れる、見つめる、ということである。
ぼくは世界一のピアニストになりたいと思っている。
こういう事をいうと、謙虚ではないと思う人が多い。
ぼくは、そう思わない人のほうが謙虚ではないと思っている。
少なくともホロヴィツもハンクジョーンズもぼくも、CDの値段はほぼ同じだ。
それを買って聞いてくれる人に対して、ぼくがその人達と同じ志を持っていないとすれば、それを買ってくれた人に対して謙虚である、といえるのか?


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  1. 2009/07/05(日) 13:47:00|
  2. A
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ピアノの音色について

ピアノの音色について

ピアノという楽器は、科学的にいうと猫が弾いてもぼくが弾いてもホロヴィッツが弾いても同じ音がなるはずなのに、全く違う音になるという不思議な楽器であります。
ピアノの音色について少しお話しいたしましょう。
全ての楽器の中で、音色を良くする為の明確なトレーニング方法がない楽器はピアノだけだといっても過言ではありません。
ピアノの音色はイメージで決まります。後は技術的な総合力。
イメージを持つ事には勿論メソッドはありません。音楽を聴いて感動したり、日常の様々な事柄を感受するしか方法はない。
ぼくの場合は自転車で旅をしたり山登りする事もそれかもしれない。

でも、具体的にピアノを弾く時に少し意識のチャンネルを変えてみると、音色のイメージを持つことの手助けになるかもしれません。

ピアノの音をならす為には鍵盤を押さなければなりません。
ですから、ピアニストは鍵盤に意識がある場合が多いです。
が、鍵盤は操作する為のボタンに過ぎず、実際にはピアノはハンマーが弦を叩く事によって発音しているのです。
ですから、ピアニストはまず意識を鍵盤からハンマーに切り替える事が肝心です。
ピアノは唯一楽器の発音を、自分の体で直接行う事が出来ない楽器なのです。内部奏法をすれば別ですが。

さて、ハンマーが打弦する事をイメージ出来たら、次は弦を共鳴させる事をイメージしてみましょう。
ピアノは、弦楽器である、という言い方が出来るかもしれません。
特にファッツィオーリは、弦楽器である事を思わせてくれる楽器ですね。
ハンマーが弦を叩く事から弦を響かせるというイメージを持つ。

そこまでいくようになるとどんどんイメージは膨らんでくるはずです。
ハンマーの打弦のさせ方を変えてみたり、ソフトペダルを踏んでみる事によってそれは可能になります。
ピアノからは弦の音以外の様々な音がしています。ダンパーが外れる音、ダンパーが戻る音、共鳴弦の響いている音、倍音の響き、フレームの響き、また、共鳴板の木に響く音、そこまで感じ取りながら、ピアノを演奏してみると、どんどん楽しさが増して来る。
ピアノは、響かせる楽器なのです。
ぼくのピアノを生で聞いた人ならば、ぼくが、弾いた音の残響にまで意識を持ち、責任を持って演奏している事を感じ取れる事でしょう。
響きにイメージを持つと、まずペダリングが変わる。
ピアニストに限らず、全ての減衰音の楽器奏者は、今ひとつ楽器を響かせる事をイメージ出来ずにいます。
楽器を響かせるイメージを持たないと、音楽は点のままです。
楽器を響かせる事が出来て、はじめて、音は点ではなく線であり、立体になっていくのです。

  1. 2009/06/08(月) 19:14:15|
  2. B~D
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音楽が音楽になる為には

音楽家としてプロになるためには才能は不可欠だ。
発明とは99%の努力と1%のインスピレーションだ、というエジソンの言葉がある。
努力を推奨するこの言葉は、言い換えれば、1%のインスピレーションが湧かない人に発明は無理だということでもある。
同様に、才能の全くない人には音楽は出来ない。
ところが、才能があればそれで音楽が出来るのか、というとそうでもない。
たまに、20代前半で突出した才能を開花させる人がいる。
そういう人たちは、凡人が9年かからないと出来ない事を、たった一年で出来てしまう。
だけど、どんな天才だろうと凡人だろうと、等しく10年時間をかけないと出来ない事も存在する。

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  1. 2009/04/21(火) 12:47:00|
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アドバイスの受け方

先輩や先生から、様々なアドバイスを受ける事があると思います。
アドバイスをしてくれる人は、大抵の場合その人に対して好意を持って言ってくれていますが、アドバイザーの力量や、意図によっては、アドバイスが功を奏さないばかりか、有害にすらなる場合もあります。
基本的に、人のアドバイスは半分に聞いたらよろしい。
僕は、大学一年生の時に、はじめてセッションにいったジャズ喫茶のマスターから受けたアドバイスが的外れであった事から、そのことを学びました。
必ずしも人が正しい事を言ってくれるとは限らない。また、正しい事であったとしても、そのことがその人に取って正しいかどうかはわからないのです。
最終的に、自分の感性以外の事を表現する事は無理だから。

では、アドバイスをどう受ければいいのか、ということを考えてみましょう。
アドバイスには大きくわけて二つあると、僕には思います。

戦略的アドバイスと、戦術的アドバイスです。
戦略とは、どういう目的で戦うか、で、戦術は、いかにして戦うか、です。
つまり、戦争でいうと、第二次大戦の目的を定めた東条英機は戦略家で、ミッドウェーで采配した山本五十六は戦術家です。







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  1. 2009/03/02(月) 16:39:41|
  2. A
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ぼくが演奏中にしている作業の解説

演奏する時のメンタリティーを整える。これはほんまに難しい事だ。
集中力は、緊張していては絶対に出ない。
リラックスする事は非常に大事なことだ。
どうやってリラックスするか、その方法を各自探らなくてはならない。
お客さんにのまれてはいけない。共演者にものまれてはいけない。
どうすればいいのか?それは各自探方法を探らなければならない。

最初の一音は肝心。
その一音が、音楽として動き出した時から始まるのだ。
自分が出す音に対して、勿論、方向性を考えながら音を放っていくのだが、だが出た音がひとりでに予期せぬ方向に動いていく事もある。その音の動きに忠実に音楽を作っていく。これはつまり、響きを吟味するということでもある。
この、予期せぬ動きに対する反応が即興感に繋がる。
ホロヴィッツが即興的に聞こえるのはそういう理由。

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  1. 2009/01/08(木) 20:24:24|
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すべての問題は、音符のレガートに関わってる。

すべての問題は、音符のレガートに関わってる。

リズムを刻む際、その音とその次の音、つまりベースでいうと四分音符が、レガートしているイメージを持つ事が、ジャズを演奏する上で、最も大事な事だ。
レガートとはどういう事かというと、音と音が繋がっていく事だ。
アーティキュレーション記号では、スラーで表記される。
レガートすることは、スウィングとも密接に関わっている。
ジャズにおけるレガートという言葉の意味は、少しだけクラシックのそれと違う。
クラシックでは、メロディーがレガートするのだが、ジャズでは、リズムがレガートする、という言い方をする。(これは極論です。勿論、ジャズでもメロディーのレガートはあるが、問題をリズムに限定したほうが、わかりやすいと思われるから、ここではそういうことにする。)
リズムの点、一つ一つがレガートしている状態を作り出すのだ。
どうすれば、レガート出来るのかは実は説明する事は難しい。しかし打音から発生するその後の空間をどれだけ意識出来るか、にかかっている部分は大きい。
点と点を繋ぐのではなく、点から発生する、響きを繋いでいくのだ。
若い音楽家達の多くはは、音の響きを意識出来ていない。殆どのリズム楽器は、減衰楽器であるから、ポイントにしか意識がいかないのだ。
故に、ピアノでいうならば、ペダルの踏み方を勘違いしているひとは多い。
ペダルを、打音を繋げる為には極力使ってはいけない。音は可能な限り指で繋ぐものだ。
ペダルの本来の用途は、響きを繋ぐ為のものなのだ。
ベースやドラムのレガートを技術的に説明するのはぼくには難しいが、響きに意識を持つべきである事は、容易に理解出来る。
ドラムはハイハット、ベースドラム、スティックで叩く場合はシンバル、ブラシの場合はスネアという、3種類の楽器で4ビートのリズムを構築する。
この強弱と、軽重だけで、大概の事は表現出来るのだ。
ハイハットのタッチ感、バスドラムの距離、ブラシの深さだけで、大抵の音楽の緊張感を彩る事が出来る。
つまり、レガートしているだけで音楽に参加する事が出来る。ということは、音楽が混沌とした時にステイ出来るということだ。そして、ステイする事によって冷静に状況を判断出来るということだ。故に、すべての問題はレガートに関わってくるのだ。
ジャズの場合は、4ビートといわれる四分音符がそのレガートの基本として考えても差し支えないだろう。
必ずしもスイングは、強いビート感から生まれるとは限らない。
黒人の、すごいプレイヤー達のグルーブは確かに強力だが、それを模倣しなければスイング出来ない訳ではない。
それよりも、もっとさりげない、四分音符のレガートから生み出されるリズムの連なりが、スイングを学ぶ上において重要であると僕は思っている。


  1. 2008/12/18(木) 12:39:51|
  2. B~D
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もっと丁寧に音楽を作ろう

若いミュージシャン、特にドラマーや管楽器奏者に多いのだが、音楽の総体の中での流れがギザギザで、あまりにも唐突で雑い演奏が多い。
何故そうなるかというと、多くの場合、彼らは自身の演奏の中で「ジャズ名場面集」の切り貼りをしているのだ。
野球で例えるなら、珍プレー好プレーばかりを見ているようなものだ。
珍プレーや好ブレーだけで一試合は作れない。
内野ゴロ、外野フライ、バント、ヒットエンドラン等の地味な作業の積み重ねの中に、たまにあるホームランや、奪三振が見物なのだ。
ジャズのアルバム一枚聞いても、殆どは地味な作業の連続で、一曲の中のここっ、というポイントにのみ、そういう華やかなシーンがあるのだが、そういう華やかな、耳につくシーンのみを抽出し、羅列しているのが、そういう連中のジャズなのだ。そこには音楽の総体としての美しさはない。
マイルスデイビスバンドフォロワーのヨーロッパの三流バンドのライブCDを聞いたことがある。本物と同じようなシーンは数多く存在するが、整頓の度合いがまるっきり違うのだ。
一つのシーンの中の音の情報が多すぎるのだ。
ドラムはホームラン打って、ベースはヘッドスライディングして、ラッパはホームスチールしている。
そういう人たちと一緒に演奏すると、僕は音を出すことが出来なくなる。ただでさえ混沌としている状態に、更に音を増やせば、混沌の度合いが増すことが明らかだからだ。
弾かない、という選択肢が、まだしもましな選択肢となるような演奏になることが多い。
ソロのとき、頻繁に落ちてくるドラマーからのド派手な「爆撃」を避けながら、ギザギザを補正しつつ、少しずつ丁寧に音楽を進めていかなければならなくなる。
刹那的なかっこいいフレーズを奏でることを考えるのではなく、その音を出した時、そのシーンに与えるベクトルはどうなのか?そしてその音がトータルの音楽の緊張感の中でどういう役割を担うのか、結果、流れはどう移ろっていくのか?ということを考えながら、一つ一つ丁寧に作っていくことをまず心がけなければならないのだ。
そして、その中にあるここ、というポイントが見えた時にド派手なことをやればいいのだ。それは本物の名シーンになる。
こういう話はいささか抽象的すぎると思われ、理解していただけないかもしれないので、具体的なことを少し記してみよう。
安易にユニゾンになるような展開を求めない、終止のフレーズを安易に出さない、相づちを簡単に打たない、音が何オクターブも跳躍すること、又は何オクターブもの音域を行き来するようなことを安易にはしない、フレーズに頼らず、タッチ感や音量の調節によって音楽に参加する術を覚える、自分の出した音と違う方向に音楽が進んだとしたら、ということを絶えず想定しながら音を出す、自分の弾いた音をある程度は覚えておく、又弾く前に頭で音を鳴らしてから弾く、等が大事だ。
つまり、安易にやるな、ということになる。
音数は、なるべく少ないほうがいいのだが、達人は、まず音楽の骨格を理解した上で、たくさんの肉をつけるているから音が煩雑にならないのだ。
達人の演奏には音数が多い場合もままある。が、三流のそれとは、大きく違うのだ。
ぼくはそれを、聞いて理解出来るし、頭でもわかっているが、実際に即興の中で、ジャズに特有のスウィングの流れを損なわず、トータリティーを意識することは、まだ出来ていない。

  1. 2008/10/25(土) 00:18:35|
  2. D
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僕がテレビを見ない理由~エコとは

僕がテレビを見ない理由は、見る価値があると思う番組が少ないということもあるが、何よりもぼくはCMを見るのが嫌なのだ。

文明が進歩し、世の中は便利になったという。
確かに携帯電話は普及し、車も一家に一台、パソコンも個人が一台づつ所有する世の中となった。
昔に比べてずいぶん便利になったものだ。

それでも世の中に溢れる様々な物物物、この中に本当に必要なものは一体どれぐらいあるのだ??

僕には、不必要な消費を煽る、世の中のコマーシャリズムとそのからくりが滑稽に思えてならない。

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  1. 2008/10/03(金) 23:47:16|
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フットワークを軽く持とう

フットワークの軽さ。私の数少ない長所である。
僕は、大阪での仕事の「ついで」に北海道に登山にいく人間ですが、それが、いかなる形あれ、損になったことは一度もない。
普通に考えても、得るものは出不精の人間と比べて多いに決まっている。

アーティストとして、何かを感受することに対して、どん欲であることはとても大事なことだ。
それが人によっては山登りであったり、自転車の旅であったり、動物園にいくことであったり、本を読むことであったり、美味しいものを食べにいくことであったり、場合によってはパチンコを打つことである人もいるだろう。勿論、練習に対しても。

それが何であってもよい。それに対してどん欲でいよう。

また、フットワークの軽さは、なにも外向きなものにだけ限定されるものではない。
内向きなことに対してのフットワークの軽さも大事だ。
例えば、人との関わり合いに対してのフットワークの軽さ。
音楽を作るということは、人とのかかわり合いを無視しては成り立たないのだから。
人と向き合うことは大事だ。自分の意見を述べることに対して億劫でいてはいけない。
対人関係をめんどくさがっていては、得るものは減る一方だ。
ぼくは軽快に、誰とでも友達になる。軽薄といってもいいかもしれないぐらい。
全然知らない人の紹介の、全然知らない人の家に泊まったりすることは、僕にとって何の苦でもないどころか、楽しみでしかない。
そうやって、自分が一緒に音楽をする人を、音楽をする場所を、確保していくのだ。

そうして、自分にとっての日本がどんどん狭くなってきた。
それとともに、自分の音楽も広がり、友達も増え、環境はどんどん自分にとって望ましいものに変わっていった。

人生が行き詰まっている人に例外無く共通していることは、出不精であることだ。

何かを成し得ている人の口癖が、「面倒くさい」という言葉でないことだけは、確かなことだろう。
その言葉を使わないようにするところからはじめてみるといい。

少なくとも、決まりきった日常からの脱却により、気持がリフレッシュする。
これだけでも僕は演奏が良くなるのだ。

ぼくの軽いフットワークはそのうち海外にも及ぶかもしれない。
今はヨーロッパを旅したくて仕方ない。勿論チャリでね。
  1. 2008/09/25(木) 12:28:02|
  2. A
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若手シンガーのメンタリティー

自尊心なく、拗ねの感情を持って歌っている若手シンガーをよく見る。
確かに、若手シンガーを取り巻く環境は厳しい。

だけど、それに負けててはいけない。

僕が共演したいと思う若手シンガーは、それに打ち克って来た人、打ち克とうとしている人だけ。
歌が上手いかどうかは大した問題ではない。

僕と共演したいと思ってくれる若手シンガーも何人かはいる。
中には、社交辞令での発言であろうが、お手柔らかにお願いします、という発言をする人がいる。

僕には自尊心が欠落した人の発言にしか思えない。
何を手加減するのか???

僕は、19の何にも弾けない頃から、共演者に謝ったことは一度もない。
どんなにどえらい失敗をしても。
それが、自分の精神を汚すことを直感していたから。

どうせ私の歌なんて、という気持を持って、ステージに上がらないでほしい。

又逆に、反動的なエネルギーを持ってステージに上がる人のもよしたほうがいい。

反骨心を持って歌うのは構わない。だけど、反動が人を感動させることは無い。

ステージに立つ前のメンタルを確保することは、本当に、本当に難しいことなんだ。
僕自身15年以上プロとして活動しているが、未だに出来てるといえない。

ましてや、生身でステージに上がるシンガーの、メンタルを確保することの難しさは、もしかしたら想像以上かもしれない。

だけど、ステージの上によけいな物を持ち込んでることは、生身故に、一発でばれちゃう。少なくとも僕は一瞬で見抜く。

人間やから、色んな負の感情を持ってしまう。
せやけど、それに打ち克たなあかん。

当たり前のことだが、歌は練習すれば誰でも上手くなる。だから、そんなことは大した問題ではない。英語も同じ。練習すれば上手くなる。

自尊心の欠如と、拗ねの感情が、精神に変な癖をつけてしまう前に、それに打ち克とう。
誰しも、グレイトシンガーになる資格はあるのだ。

  1. 2008/08/15(金) 11:21:34|
  2. A~D
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オリジナリティーって何?即興演奏って何?

オリジナリティーって、即興て、何?


真の意味でオリジナルであるということは、全くの独自の創作であるということだ。
だが、そんなことは、並大抵の人間に出来ることではない。いや、人間には無理だ。
音楽の神様のみ可能なことなのだ。
それらに最も近いと思われる、バッハやモーツァルトとて、自らの手本となる先達の存在あって成り立っている。


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  1. 2008/07/01(火) 13:17:50|
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価値観の狭間

最近何となく過去を振り返ってみた。

20代の頃、僕は、こうでなければならないという自分の価値観にしたがって生きてた。
自らの価値観を刃に、様々な抵触するものをぶった切ってきた感がある。
30ぐらいから、すこーしずつそれが変わってきた。

変化は僕にはドラスティックに訪れることが多いのだが、このことは、しかしすこーしずつ変わってきたな。

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  1. 2008/02/05(火) 17:56:45|
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当たり前の事を当たり前にやる

当たり前の事を当たり前にやっていく

僕は、今年の目標として、日本一のピアニストになる、との目標を掲げた。
でも日本一って漠然としている。
あの人も素晴らしければ、この人も素晴らしい。その人たちに勝つと、いったような相対的な意味では、実はない。
僕は、自分が納得出来るレベルに到達するということ、が、日本一の意味するところです。
自分自身が、誰にも負けないと思えるようになるということ。
つまり、日本一の矜持を持つこと、それが日本一の意味である。
何一つ恐れるものは無いのだということを、信じれる自分になる。
恐れ、は、外的な要因にあるようで、実は自分の中にこそ存在するのだ。
自分自身を、とことん信じれる、その強さを身につけるのだ。

では日本一になる為に、僕は何をしたらいいのか?


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  1. 2008/01/21(月) 23:24:33|
  2. B~D
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ルバートとは

多くのジャズミュージシャンが苦手とし、特にジャズ歌手が勘違いしていることの一つに、ルバートがある。

結論から先に書く。

ルバートで演奏するのに最も大事なことは、リズム感だ。
ルバートに無いのはテンポであり、一定のパルスがないだけで、リズムは厳然として存在する。

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  1. 2007/12/13(木) 14:24:26|
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練習して出来ることと、練習では出来ないこと

上手くなりたかったら練習すればいい。
何を練習すれば上手くなるか?これは人によるし、近道はない。
いや、近道はあるかもしれない。人によっては、学習に於いて自然に近道を選べる才能がある人がいる。だが、近い道を通ったからといって、得れるものの「深み」は、遠回りをした人より少ないかもしれない。
ということは、遠回りは、実のところ近回りなのかもしれない。

ただ、確信していえることは、どのような練習をしたとしても、それらに無駄なものはない、ということだ。

敬愛するHank Jonesさんもそういっていた。 [練習して出来ることと、練習では出来ないこと]の続きを読む
  1. 2007/10/12(金) 23:21:51|
  2. C
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音の理~バドミントンと音楽の関係

ジャズのアンサンブルというのは、バドミントンしてるようなもので、僕が打った羽を相手が打ち返して、というラリーが続く感じ。

バドミントンとジャズの違いは、相手をやっつけるためにあるのではなく、お互いのラリーで美しく表現していく。ラリーが一つの作品となるのだ。


バドミントンの羽が自然に落下するように、または打ち方によって落ち方の速度も変わるように、音にも行き着く先、というものがあるり、それを無視しないのが最低源のマナーで、いわば音楽の摂理だ。理論ではない。摂理。羽が引力に逆らえないのと一緒で、音楽もそれには逆らえない。

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  1. 2007/10/12(金) 11:26:35|
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ショートケーキ型のアンサンブルと、戦闘機型のアンサンブル~アンサンブルする力

ジャズのアンサンブルは、戦闘機の編隊飛行に似ているように思う。
三機(トリオの場合は)の戦闘機が、時にはリードする一機を多の一機が追い越し、下に宙返りし、絡みあい、時には大きく離れて飛ぶ。
出発地点と目的地点は同じではあるが、そこに至る道は違う。
どころか、場合によっては墜落してしまうこともあるし、ぶつかってしまうこともある。
このような失敗は日常茶飯事なのだが・・・。

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  1. 2007/09/14(金) 09:52:19|
  2. C
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無駄にうまいということ

以前にも似たような事を書いた事があるが、もう十分速く弾けるのに、もっともっと速く弾こうと、いっぱい練習している人がいる。

そんな練習は無駄だ。

どんなに手数音数が多く速く演奏出来ようが、それが音楽に即していない、僕はフィットしている、という言葉をよく使うが、フィットしていなければ、サウンドしないのだ。
サウンドする、というのをミュージシャンはよく使うが、これは調和する、といった意味です。

フィットしていてはじめて技術は生きるのだ。
フィットする為には何が必要か?
様々な要素が複雑に絡み合うが、その中でも重要なのは、タッチだ。
タッチとは何か?音色にイメージを投影するということだ。
鋭い音色だけども、その中にソフトなイメージを投影する事も可能なのだ。
音色と、イメージ、両方の引っ張りあいによってタッチは立体的になる。

強い弱い、という左右だけではなく、深い、浅い、といった空間に立体な音。

音楽の方向性は真逆に進んでいるようでも、フィットしていれば、それは距離になる。
なんせ、みんなが思っているよりも、音楽は、立体的なんだ。

それを知らずに平面的な技術を磨いたところで、音楽家として前進しない。

例えば、僕のトリオでは、全員が、音楽の本来流れるべきところと違うところで演奏して、しかし全員がその本来の流れを見ていて、その流れのところに戻ってくる、という状態になることがある。
その状態で、三人をつなぎ止めておくために必要な事は、距離を見ながら演奏出来るリラクゼーションと、やはりタッチによるフィット感だ。

僕ぐらいの年齢の人、より少し若い人、やり始めて10年ぐらいの人がこの壁にぶち当たる。
がむしゃらに音を出してみても何故か音楽がフィットしない、スムーズに行かない事に、やり始めて10年ぐらいでそろそろ気付き出すのだ。

ちなみに、スムーズに行かない理由は、音楽の流れるべき流れ、を無視して演奏しているからだ。
自分の中で、まだ言語化されるまで整理されていない。言語化され次第書く。

その壁を、既に超えている人、超えようとしている人、超えたいと思っているがその為に必死になって速度の練習をしている人。
色々です。


速く弾く事、という平面の練習から、深く弾く、浅く弾く、という立体の練習に切り替えよう。

そうすれば目の前の扉は開くはずです。
  1. 2007/07/17(火) 12:31:46|
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音楽の軽み

日本人にとって、一音の深み、を表現する事は、意外と簡単な事なのかもしれない。

それよりも、むしろ、軽みを表現する事の方が遥かに苦手なのだ。

僕のいう軽み、とは、軽薄とは似てて非なるものだ。
以前書いた、普通とまあまあの違い、に通じるところがある。
軽いのだが、そこに品格を失わない、というような、軽み。

逆に、西洋人にとって、深みを表現する事は、難しい事なのかもしれない。

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  1. 2007/07/09(月) 10:27:08|
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おおらかである事、ハッピーである事

ハッピーである事、おおらかである事

ジャズミュージックを演奏する上において、最も重要な事、それは、おおらかでいる事、ハッピーでいる事。

おおらかな事を表現すること、ハッピーな事を表現する事、が大事なのではない。

どんなに難しい事を、前衛的な事を、複雑な事を、神秘的な事を、メカニカルな事を演奏していたとしても、おおらかな心、ハッピーでいる事、を忘れなければ、人には伝わる。

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  1. 2007/06/22(金) 02:05:57|
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更なる高みへ

僕には、音楽家として、立ちたい高みがある。

現代最高のジャズピアニスト、Hank Jonesの立っている高みに、僕も立ちたい。いや、僕はそれを超えたいと思っている。

彼の立っている場所は、山で例えるならエベレスト。
今、僕が立っているところは、せいぜい富士山か、穂高岳の山頂だ。

しかし、僕の気宇はエベレストよりも高い。

僕が、Hank Jonesを超えたいと思っている事を知ったら、大抵の同業者は鼻で笑うだろう。

笑うがよい。

超えられない、そう思った瞬間に、敗北なんだ。

その事を知らぬものは笑えばよい。

僕はピアニストであってアルピニストではない。
だから、いくら登山が大好きだからといって、エベレストやK2の高みに立つ事は一生かかっても無理だ。

だがぼくは、Hank Jonesの高みには立つ。

それは、僕には可能な事なのだ。そう信じる限り。
一生かけて貫き通す。それが僕の信念なのだ。

そう信じるものだけが、それをなし得るのだということを、僕は知っている。
  1. 2007/04/17(火) 23:42:35|
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殆どのボーカリストはステージでマナー違反を犯している

ボーカリストにもの申す

(注)これから先、ボーカリスト、と書いてあるその言葉が指す意味は、ジャズボーカリストという意味です。
ポップスや、ラテンや、ボサノバのシンガーは含みません。
何故ならば、特にボサノバやラテンのシンガーは、研究が行き届いているように思える人が多いです。
ジャズのシンガーだけ、がくんとレベルが下がります。



食事中にくちゃくちゃ音を立てて食べている人を皆さんどう思いますか??
歩きながら煙草を吸っている人をどう思いますか??
混雑した電車で、座席の横に荷物を置いている人をどう思いますか??

マナー違反だと思うでしょ?

殆どのボーカリストは、ステージでマナー違反をしています。


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  1. 2007/03/26(月) 10:30:01|
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プロとは

やりたいことをやるのがプロだ、いや、やりたくないこともやるのがプロだ、こういう議論はよく耳にします。

僕は、やるべきことをやるのがプロだと思ってます。

やりたいことをやるのはアマチュアです。やりたくないことをやるのはバンドマンです。
やるべきことをやる人のことをアーティストといいます。

やるべきこととは、自分の芸のために必要なことです。
必ずしも演奏とは限りません。

プロになると、やるべきこと、は、やりたいことなはずです。

また、プロになると、やりたくなくても、やるべきこともあります。

しかしそれは、やるべきことなので、突き詰めるとやりたいこと、ということになります。

やるべきことは多い。

それを見つけていくのがプロです。
  1. 2007/02/16(金) 01:12:41|
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今現在、僕が陥っている二律背反について

ジャズとは、異なる二つの価値観を高い次元に昇華させる音楽であることはこれまでにも述べてきました。
具体的に、今現在僕が迷い込んでいる袋小路をご紹介したいと思います。

このことに気付いたきっかけは井上淑彦と共演した時の話です。その時ベーシストは中村新太郎で、僕がこのベテラン二人を迎えてセッションライブでした。
淑彦さんは、ライブが終わった時に、「マコッちゃんは本当に自分の世界があるよね~」といいました。 [今現在、僕が陥っている二律背反について]の続きを読む
  1. 2006/12/12(火) 14:08:49|
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多くのベーシストが陥る2パターン

僕は全ての楽器の中でベーシストに最も厳しい。
僕が思う、多くのベーシストが陥りがちな展開を、2つにしぼって分類してみた。


強いスイング感しか出せない人。
解りやすくいえば、チャーネット・モフェットに代表されるような強いスイング感が全てだと思っていて、それに命をかけている。
野球でいえば、パワーヒッタータイプ。パワーヒッターがまだパワーを鍛えようとしているようなもので、それは十分なのだから、違う方面を磨こうとすればいいのに、という清原のようなタイプ。

リズムのテイストもタッチの要素は不可欠で、その場に則したスイング感のコントロールが出来てはじめて音楽になる。
強いスイング感が出せないのはだめだが、それは音楽の一手段に過ぎないことを知らなければいけない。 [多くのベーシストが陥る2パターン]の続きを読む
  1. 2006/12/09(土) 14:17:29|
  2. D
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若い方、とにかく頑張る 調和?同調?おっさんは頑張らないの?

今、僕は「頑張らないで」演奏する様にしています。
頑張らないで演奏した結果、うまく行かないこともある。
だけど、それは結果として仕方ないことやと思ってます。

30代は頑張って演奏すべきではないと思う。

頑張らないで演奏する、という言葉が悪ければ、無理しない、逆らわない、などという言い方がふさわしいかと思われます。 [若い方、とにかく頑張る 調和?同調?おっさんは頑張らないの?]の続きを読む
  1. 2006/11/04(土) 21:20:48|
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ドラマーがドラムソロで収拾がつかなくなる理由は

多くのドラマーがドラムソロ、特にフリーソロで収集つかなくなってます。
収集つかなくなって、最後ワンコーラステンポのドラムソロをやってコーラスに戻ります。

なんでか?

一口でいうと、打楽器で音楽を表現する、という事が出来てないからです。

もっと表現力を身につけよう。
  1. 2006/09/05(火) 17:51:06|
  2. B~D
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どこかにシンバルレガートのみで音楽を表現出来るドラマ-はいてませんか??

どこかにシンバルレガートのみで音楽を表現出来るドラマ-はいてませんか??

本当に真っ白で美しいキャンパスに絵を描くのは美に対する冒涜だ、という美術家の話を聞いた事があるような気がします。

勿論極論ですが、ある意味いい得てると思います。 [どこかにシンバルレガートのみで音楽を表現出来るドラマ-はいてませんか??]の続きを読む
  1. 2006/09/05(火) 17:38:37|
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緊張と緩和~山型を意識する

時々、僕のトリオやソロの演奏で、ソロが終わっても拍手が無いのはよくあるけれども、曲が終わっても拍手が無い事があります。
大体において、会心の出来、の演奏の後に多いです。
拍手出来ない事は時として最高の賛辞だと僕は思ってます。

それはともかく、緊張と緩和の織りなすストーリーには色んな形があります。
無限の可能性があります。
緊張と緩和で作りだすラインを山に例えると、ごくごく普通の登り始めて最後にピークが来るような山もあれば、最初に上り詰めて、そして徐々に降りてくるような山もあるでしょう。
また、音量で緊張感を表現するのではなく、むしろ一切の山を無くしたことによる不思議な緊張感、また、始まったところよりもさらにリラックスした状態に持っていく、等それこそ色々な形の山を描く事が出来ます。 [緊張と緩和~山型を意識する]の続きを読む
  1. 2006/09/05(火) 17:36:53|
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